信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日 - 1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は河西 由金(かわにし よしかね)[1]。
来歴・人物
現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。右を差しての思い切った攻め、頭を付ける堅実さを持ち合わせた取り口[1]。
18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵[1]。1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。
その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃・信州)に因んだ「信州山」に改名。1943年5月場所では幕下上位で全勝優勝を遂げ、翌年の1月場所で新十両に昇進。そして、1945年11月場所で、初土俵から9年目にして入幕した[1]。
その場所は、戦後初の本場所であり、修復した両国国技館で開催された。しかし、屋根に穴が開いていて雨が防げなかったため、一日だけ雨天順延になっている。また、唯一正規の15尺ではなく、16尺の土俵を使用した珍しい場所となる[2]。
1947年6月場所での西前頭4枚目が最高位で、横綱・羽黒山に善戦した一番が話題になり、後に大関となった三根山にも勝利したものの、同場所では1勝9敗と大きく負け越し[1]た。
以後も勝ち越すことは無く、1948年10月場所限り、29歳で廃業。
廃業後は東京都大田区大森にて、料理店を経営した[1]。
1976年8月20日、逝去。57歳没。
取り口は、上突っ張りからの右を差しての寄り切りに鋭さがあったという。また、長身ながら頭を下げた堅実な相撲ぶりで、上手投げや打っ棄りもあった[3][4]。
主な戦績
- 通算成績:98勝85敗11休 勝率.535
- 幕内成績:24勝31敗11休 勝率.436
- 現役在位:23場所
- 幕内在位:6場所
- 各段優勝
場所別成績
信州山 由金
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春場所 |
夏場所 |
秋場所 |
1937年 (昭和12年) |
x |
(前相撲) |
x |
1938年 (昭和13年) |
(前相撲) |
西序ノ口11枚目 3–4 |
x |
1939年 (昭和14年) |
東序二段49枚目 4–3 |
西三段目57枚目 4–4 |
x |
1940年 (昭和15年) |
東三段目50枚目 6–2 |
東三段目14枚目 5–3 |
x |
1941年 (昭和16年) |
西幕下36枚目 4–4 |
西幕下32枚目 3–5 |
x |
1942年 (昭和17年) |
東幕下50枚目 4–4 |
東幕下31枚目 4–4 |
x |
1943年 (昭和18年) |
東幕下27枚目 5–3 |
東幕下19枚目 優勝 8–0 |
x |
1944年 (昭和19年) |
西十両9枚目 8–7 |
西十両5枚目 6–4 |
東十両筆頭 5–5 |
1945年 (昭和20年) |
x |
東十両筆頭 5–2 |
東前頭13枚目 5–5 |
1946年 (昭和21年) |
x |
x |
東前頭11枚目 8–5 |
1947年 (昭和22年) |
x |
西前頭4枚目 1–9 |
西前頭12枚目 5–6 |
1948年 (昭和23年) |
x |
西前頭15枚目 5–6 |
東前頭17枚目 引退 0–0–11 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
四股名の変遷
- 諏訪昇 由金(すわのぼり よしかね)1938年5月場所
- 諏訪登 由金(すわのぼり -)1939年1月場所 - 1942年1月場所
- 信州山 由金(しんしゅうざん -)1942年5月場所 - 1948年10月場所
脚注
- ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p21
- ^ 『戦後新入幕力士物語 第1巻』 佐竹義惇・著、1990年10月、ベースボール・マガジン社、P24より
- ^ 『戦後新入幕力士物語 第1巻』 佐竹義惇・著、1990年10月、ベースボール・マガジン社、P20より
- ^ 『古今大相撲力士事典』景山忠弘・小池謙一共著、1989年10月、国書刊行会、P177より
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者・佐竹義惇、1990年10月、ベースボール・マガジン社刊)
- 『古今大相撲力士事典』(景山忠弘・小池謙二共著、1989年10月、国書刊行会刊)
- 『平成25年版 大相撲力士名鑑』(京須利敏・水野尚文共著、2012年12月、共同通信社刊)
関連項目