伊達宗利
伊達 宗利(だて むねとし)は、江戸時代前期の大名。伊予国宇和島藩2代藩主。官位は従四位下・大膳大夫、侍従、遠江守。 生涯初代藩主・伊達秀宗の三男として誕生した。寛永16年(1639年)2月15日に元服する。長兄の宗実が病弱のため嫡子を辞し、次兄の宗時が父に先立って死去したため、明暦3年(1657年)7月21日、父の隠居により家督を継ぐ。寛文10年(1670年)から八十島親隆を検地奉行として検地制度や村役人制度を確立し、元禄元年(1688年)には紙専売制度も実施するなどして藩政の基盤を固めた。しかし藩主の居殿である浜屋敷の造営、宇和島城の大改修など出費も相次ぎ、藩財政は苦しかった。 寛文11年(1671年)に本家の仙台藩で伊達騒動が起こったときには、今村善太夫ら罪人を預かっている。延宝9年(1681年)の越後騒動の際には、舅である松平光長が当事者だったこともあり、宗利が幕府と越後高田藩松平家との事後処理の窓口とされた。 元禄6年(1693年)11月14日、家督を養嗣子で娘婿の宗贇に譲って隠居し、宝永5年(1708年)12月21日に75歳で死去した。法号は天梁院殿賢山紹徳大居士。 系譜
参考文献
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