伊達宗保

 
伊達 宗保
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文13年4月13日1673年5月29日
死没 元禄6年10月2日1693年10月30日
改名 九十郎(幼名)、宗義、宗重、宗保
戒名 法性院殿知随禅縁大居士
墓所 東京都港区東禅寺
官位 従五位下宮内少輔能登守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
伊予吉田藩
氏族 吉田伊達氏
父母 父:伊達宗純、母:奥山氏
兄弟 小次郎、宗保池田由道正室、女子
正室:田村建顕の娘
村豊
テンプレートを表示

伊達 宗保(だて むねやす)は、江戸時代前期から中期の大名伊予吉田藩2代藩主。

略歴

初代藩主・伊達宗純の次男として誕生。母は奥村氏。宗義(むねよし)、宗重(むねしげ)、のち宗保。正室は一関藩主・田村建顕伊達忠宗三男・宗良の子)の娘。

元禄4年(1691年)、隠居した初代藩主・宗純より家督を譲られるが、元禄6年(1693年)江戸藩邸にて若くして死去した。享年21。

また、跡目は従弟(伊達宗職宇和島藩初代藩主伊達秀宗七男)の次男)の宗春(のちの村豊)が継いだ。