伊東 (企業)
伊東合資会社(いとうごうしがいしゃ)は、かつて愛知県知多郡亀崎町(現・半田市)に存在した日本酒の蔵元。代表銘柄は「敷嶋」。2021年(令和3年)12月には伊東株式会社(いとうかぶしきかいしゃ)として酒類製造免許を再取得し、生産再開を果たした。 歴史伊東合資会社の前身は、伊東孫左衛門による清酒敷嶋で、1788年(天明8年)創業といわれる[1]。敷地内の船着き場から江戸に酒を出荷し、ピーク時は約8千石(一升瓶で80万本)の年間生産量を誇り、一時期は中部地方最大規模の生産量を誇った[2][3]。 本居宣長の詞「敷嶋の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の枕詞から酒銘がつけられたが、1920年に盛田善平が興した敷島製パンも同詞からの出典である。 盛田家とは中埜家さらに矢橋家を通して縁戚関係になる。 隣地にある旧天埜酒造(酒銘:初夢桜)の天埜家とも縁戚であり、それを継承した盛田金しゃち酒造の親会社はイズミックである。 伊東合資会社となったのは、1908年(明治41年)のことで、1921年(大正10年)には、研究所を設置した[4][5]。 味噌製造事業は1975年(昭和50年)頃に撤退。醤油製造に関しては閉業時に一部従業員が丸又商店に移籍し、現在も「イトウ醤油」の商標を用いた商品が販売されている。 2000年(平成12年)、清酒需要の低下や他事業の不調のため酒造業を廃業し、酒類製造免許も返上した[2]。後の2007年伊東合資会社は解散し、翌2008年清算結了となり、商標の一部は個人名義となった。 復活2020年(令和2年)、創業家9代目の伊東優が三重県名張市の福持酒造場の援助のもと、「敷嶋」を復活させた[3]。「敷嶋」の販売会社として、伊東株式会社が設立される。 2021年(令和3年)9月、千葉県南房総市にあった千蔵酒造株式会社を買収したうえで、千蔵酒造の本社を半田市に移転して商号を伊東株式会社に変更[6][7]。前述の法人とは現在のところ別個である。 2021年12月、酒類製造免許を千葉県南房総市から移転[8]。これにより酒類製造免許の再取得を果たす。その後、生産再開にこぎつけた。 製造所は1993年(平成5年)築の鉄筋コンクリートビルであり、機器は製造再開に伴い新しく導入されたものを用いている[9] 製造所に隣接する旧邸宅及び蔵である、3棟が2022年10月31日付で登録有形文化財に登録された。[10][11][12] 旧邸宅及び蔵を活用した施設、「伊東合資」が、2024年1月20日にオープンした。[13] 代表社員一覧
脚注
参考文献
外部リンク |
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