今井裕 (ミュージシャン)
今井 裕(いまい ゆう、1949年3月31日 - )は、大阪府出身の日本のキーボーディスト、編曲家、音楽プロデューサー。大阪音楽大学声楽科中退。在学中に作曲とコントラバスを個人的に学んだ。サディスティック・ミカ・バンドに在籍した当時はHiroshi Imaiで表記されている。 略歴1970~1985 バンド活動とセッション参加1970年、谷村新司率いるロック・キャンディーズにウッドベースとキーボードで参加。同年夏加藤和彦らと『ヤングジャパン国際親善旅行』フォークキャラバンに同行する。ニューヨーク・シェイ・スタジアム「サマー・フェスティバル・イン・ピース」の熱狂を目の当たりにし、ヴィレッジ・ヴァンガード/チャールズ・ミンガスのライブに感銘を受けた。幕間にステージに上げられウッドベースを弾いた際、時の流れが急激に変わっていくと感じたという。 レオン・ラッセル、ニッキー・ホプキンスの影響を受け、スワンプ・ゴスペルのピアノスタイルに惹かれ、1972年、加川良のツアーに同行。モウリスタジオ『親愛なるQに捧ぐ』_「偶成」「靴ひもむすんで」「親愛なるQに捧ぐ」のレコーディングでピアノを演奏したのが最初となった。他のメンバーはドラム/松本隆、ベース/細野晴臣。バークリーの音楽理論を独習。1973年大阪から上京。さまざまなアーティストのレコーディングに参加。Captain HIRO & the SPACE BANDに加入、70年代後半に至るまで甲斐バンド「裏切りの街角」、大貫妙子「サマー・コネクション」、かまやつひろし、RAJIE 、庄野真代、高中正義、井上陽水、ティン・パン・アレー、矢沢永吉、竹内まりや 、山崎ハコなどの録音にキーボーディストとして携わった。1974年には大村憲司、小原礼、林立夫、浜口茂外也、村上秀一らと「バンブー」を結成、1975年まで活動。1977年、初の自身名義でアルバム『A Cool Evening』をリリース。1978年、映画『悪魔が来りて笛を吹く』の劇伴を尺八演奏家の山本邦山と共に担当。同名映画のサウンドトラックに作曲・編曲・演奏で携わる。1979年、マナ(岩沢真利子)のアルバム『チャバコトリック』収録「GOTANDA」(作:矢野顕子)、ティン・パン・アレーのカバー「イエロー・マジック・カーニバル」(作詞・作曲:細野晴臣)を編曲。1980年、ザ・ベンチャーズ『カメレオン』収録「MECCA」を作曲・編曲。 サディスティック・ミカ・バンド〜サディスティックス1974年、イギリスより音楽プロデューサー・クリス・トーマスを迎えた2ndアルバム『黒船』から、サディスティック・ミカ・バンド(以下SMB)のメンバーとして活動。同年夏郡山ワンステップ・フェスティバルで演奏。同ライブは2017年、『1974 ワンステップ・フェスティバル』としてCD発売。1975年、SMBの3rdアルバム『HOT! MENU』収録「ミラージュ(Instrumental)」「ブルー」を作曲。10月2日、ロキシー・ミュージックのオープニングアクトとしてプレストンを皮切りに全英ツアーを敢行、途中10月7日、BBC「The Old Grey Whistle Test」にて「Time To Noodle」「Ski!Ski!Ski!」の2曲をスタジオで演奏。その後ロンドン/マンチェスターのライブを中心に収録されたものが1976年、4th『Live in London』として発売。ツアー終了時に加藤和彦・ミカの離婚が発表されSMBは解散。平成に行われたSMBの再結成には一切関わっていない。後藤次利、高中正義、高橋幸宏とサディスティックスとして、Invitationに移籍。1977年『Sadistics』、1978年『WE ARE JUST TAKING OFF』とアルバムを発売。1978年8月29日に九段会館にて行われたライブ・アルバム『Live Show』を発売。サディスティックスは1978年に活動休止。この短い活動期間内にもサディスティックスは1976年7月24日の矢沢永吉の日比谷野外音楽堂でのTHE STAR IN HIBIYAをサポートした。 IMITATION1980年、バンド・IMITATIONを結成。香港にてデビューライブ。加藤和彦プロデュースの1st『ORIGINAL』を皮切りに、1982年、2nd『Muscle & Heat』、12インチシングル『Thermo Limbo/Exotic Dance』発売。Steve Scales(per),Dolette MacDonald(v),サンディー & 久保田麻琴(v)をゲストに迎えた。1983年、3rd『Happy Hunting』をリリース。1984年、フランスRCA S.Aから『Happy Hunting』ヨーロッパで発売。 1988~2003 音楽プロデューサー活動※手掛けた作品は後述項目も参照 1988年からイギリスを拠点として本格的に音楽プロデューサー職をスタート。SMBで出会いがあったクリス・トーマスのホームスタジオ、エアースタジオ(英)、にウインドミルレーンスタジオ(アイルランド)のエンジニアと連携を深めた。1991年、西アフリカ・マリ共和国のコラ奏者、トゥマニ・ジャバテと、評論家・高橋健太郎との縁で、コートジボワールにて『Shake the Whole World』を録音。ヴィオラ奏者Jill Jaffeとともに「ザ・シンメトリック・オーケストラ」を結成。ニューヨークにて追加録音・ミックスダウンを行う。1991年から4年間、ワーナーミュージック・ジャパン傘下のレーベル・MMG/イーストウエスト・ジャパンにて各アーティストのアルバム制作に携わる。独立後は特定のレコード会社に属さずに引き続き音楽プロデューサーとして活動。1998年「EAT-MAN'98」劇中音楽の制作、2003年には石井竜也のアルバム『Nipops』収録「浪漫飛行」「京都慕情」のリミックスを手掛ける。YMOの英語詞を手がけたクリス・モズデルとのコラボレーションで、アルバム『Equasian』(1982年)『The Oracle of Distraction』(1989年)『キュウリに求婚 ロージィ・ラズベリーとバナナ楽団』(1997年)『Fingerprints Of God』(1999年)4作品を制作。 2005~2014 ユース・フィランソロピー活動2005年、JR福知山線脱線事故へのサポートCD『the Journey of our Lives』featuring-KAZCO(詩:クリス・モズデル/谷川俊太郎)を作・演奏・制作。「市民事務局かわにし」を通じ無料配布(約350枚)を行った。「Redog Cafe」の名称にてチャリティー活動、「ソーシャル・デザイン・ファンド」(宝塚)と連携、Redog基金を設立する。2006年9月、インディアナ大・ユース・フィランソロピーを視察。 ピアニスト数名と管楽器奏者数名(相愛高等学校音楽科、伊丹北高等学校OG)の参加を得て、音環境整備運動『SOUNDGARDEN』など、主に若い世代による音楽ボランティアを支援。2013年、東日本大震災のサポートとして三陸鉄道とコラボ。4月3日、雨中一部再開通式・吉浜駅にて大船渡高等学校吹奏楽部員6名とともにデューク・エリントン楽団の楽曲「A列車で行こう」をピアノ演奏。2014年4月6日、三陸鉄道北リアス線全線運行再開記念式典・宮古駅前にて宮古北高等学校吹奏楽部6名+高見浩之(Tp)と共に「A列車で行こう」を演奏。門出に花を添えた。2019年3月23日、JR東日本山田線釜石駅~宮古駅間が三陸鉄道へ移管され、南・北リアス線(盛駅~久慈駅間)が三陸鉄道リアス線で一本化。祝いにエチケット「イ・レナイ」を1ダースを進呈。 2024年1月サディスティック・ミカ・バンドの演奏が50年間KBS京都の倉庫に眠っていた幻のライブ音源『PERFECT! MENU』(CD8枚組+Blu-ray+ブックレット)として発売[1]。 ディスコグラフィソロ
キャプテン・ヒロ & ザ・スペース・バンド
サディスティック・ミカ・バンド
サディスティックス
山本邦山 & 今井裕
IMITATION
編曲
プロデュース
脚注
外部リンク
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