久留島 通政(くるしま みちまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。通称は帯刀。豊後国森藩4代藩主。官位は従五位下・伊予守。
略歴
3代藩主・久留島通清の長男として誕生。幼名は万千代。初名は通総、通厚。
寛文9年(1669年)7月11日、4代将軍徳川家綱にお目見えする。元禄13年(1700年)12月5日、父の死去により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)4月15日、従五位下伊予守に叙任する。藩政には不明な点が多い。通政は正室を2人迎えたが、いずれも嗣子に恵まれず、元禄16年(1703年)に脇坂安照三男の久留島通用(織部)を養子にするが、翌年に病没した。その後、池田光仲の六男・久留島通孝(主殿)を養子にするもすぐに廃嫡している。そして、他家に養子に出ていた六弟の通重を養嗣子としたが、正徳5年(1715年)2月に先立って死去したため、叔父・久留島通貞の次男で従弟にあたる光通を養子として跡を継がせた。
享保4年(1719年)11月13日に死去した。享年59。
系譜
父母
正室
子女
養子、養女
脚注
- ^ 山内忠義の甥。
久留島氏 森藩4代藩主 (1700年 - 1719年) |
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