久留島通容
久留島 通容(くるしま みちかた)は、江戸時代後期の大名。豊後国森藩9代藩主。官位は従五位下・安房守。 略歴8代藩主・久留島通嘉の三男として誕生。幼名は采女。 弘化3年(1846年)11月11日、父の死去により跡を継いだ。弘化4年12月18日、従五位下安房守に叙任する。財政再建を主とした藩政改革を目指して老臣・島宮内を登用し、倹約令を施行した。その他にも養鶏、養蚕、植林(植林から紙の原料を植栽して製糸業を起こした)などの政策を重視した。 しかし襲封4年後の嘉永3年(1850年)5月22日に40歳で死去したため、藩政改革は頓挫した。法号は良峰院。長男・通明が跡を継いだ。 系譜 |