田沼意留
田沼 意留(たぬま おきとめ)は、江戸時代後期の大名。遠江国相良藩主。官位は従五位下・備前守。相良藩田沼家7代。田沼意次の孫。 生涯先代藩主・田沼意正の長男。文化2年(1805年)閏2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。文政2年(1819年)8月9日、意正の若年寄就任に伴って菊之間詰となる。12月16日、従五位下・備前守に叙任される。天保7年(1836年)4月21日、家督を相続し、雁之間詰となる。同年8月、天保の大飢饉による凶作で領内に多数の餓死者を出すなど、前途多難であった。 天保11年(1840年)7月20日、家督を嫡男の意尊に譲って隠居する。天保14年(1843年)11月25日、楽山と号す。文久元年(1861年)9月17日死去。 系譜父母 正室、継室 子女 |