本多忠通
本多 忠通(ほんだ ただみち)は、江戸時代中期の大名。遠江国相良藩の第2代藩主。官位は従五位下・弾正少弼。忠以系本多平八郎家3代。 略歴宝永2年(1705年)、初代藩主・本多忠晴の長男である本多忠直の長男として誕生した。父・忠直は本家の大和国郡山藩主・本多忠常の養嗣子となってその跡を継いだが、忠通は祖父・忠晴の跡継ぎとなり、正徳5年(1715年)に忠晴の死去により家督を継いだ。享保4年(1719年)12月13日、従五位下・弾正少弼に叙位・任官する。 享保6年(1721年)7月2日に17歳で死去した。嗣子が無かったため、弟で養嗣子の忠如が跡を継いだ。 系譜父母 養子
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