久が原
久が原(くがはら)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は久が原一丁目から久が原六丁目。住居表示実施済区域。 地理大田区の西部に位置する。地域の大半は武蔵野台地の突端である「久が原台」上にある。 同じ大田区内の田園調布や山王と並び称される高級住宅街とされる[5]。地域内の多くは区画整理されており、交通量は少なく、閑静な住宅街である。 東急池上線久が原駅の所在地はわずかに当地域外で隣の南久が原になるが、駅からは当地域にかけて商店街(ライラック通り久が原)が続く。 地域北部は横須賀線(品鶴線)の線路に接し、これを境に北嶺町・南雪谷にそれぞれ接する。東部は呑川に接し、これを境に仲池上に接する。南東部は幹線道路である国道1号(第二京浜)を境に池上に接する。南部は千鳥に接する。西部は、南久が原・東嶺町に接する(地名はいずれも大田区)。 地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、久が原2-21-22の地点で64万円/m2、 久が原4-42-4の地点で59万円/m2となっている[6]。 交通鉄道地域内には鉄道駅は存在しない。地域南西部の近隣には東急池上線久が原駅と千鳥町駅がある。 バス歴史久が原の人類の居住地としての歴史は古く、旧石器時代に遡る。「久原小学校内遺跡」(久が原四丁目12番)は旧石器時代末期(約25000年前~約12000年前)の区内最古の遺跡と考えられている。ここからは当時の人々が使用した調理場の跡である礫群、炉跡、石器類が出土している[7]。 1927年(昭和2年)に発掘された弥生時代後期(1~2世紀)の「久ヶ原遺跡」(久が原四丁目から六丁目周辺)からは、多くの竪穴建物跡が見つかっている。当地には大規模集落があり、およそ33000坪の範囲に1000棟を越える建物の遺構が存在していたと考えられている。なお久ヶ原遺跡は弥生後期の関東における標式遺跡となっている[8]。 世帯数と人口2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[15][16]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
施設公共教育・文化久が原図書館には「三枝コレクション」と呼ばれる海外の絵本コレクションがあり、英語をはじめ様々な言語の絵本が充実している[19]。館内のガラスには水森亜土による個性的なイラストが描かれている。 福祉
その他史跡・遺跡その他日本郵便脚注
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