三輪野山(みわのやま)は、千葉県流山市の町名および大字。現行行政地名は三輪野山一丁目から五丁目と大字三輪野山。郵便番号は270-0175[2]。
地理
流山市南部に位置する。地域内には1969年(昭和44年)~1976年(昭和51年)にかけて、1993年(平成5年)~2007年(平成19年)にかけて組合施行によって区画整理された地域があり、ほぼ全域が住宅街となっている。また、地域内には流山警察署がある。
東は市野谷、西は下花輪・埼玉県三郷市田中新田、南は加、北は桐ケ谷・大畔と接している。
歴史
地名の由来
古代に西国から移住してきた人々が江戸川方面から当地(丘陵)を眺めた時に、故郷大和国三輪山に地形が似ていたことから命名したと言われる[4]。
沿革
町名の変遷
ここでは、「三輪野山一丁目~五丁目」について記載する。
実施後
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実施年月日
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実施前(各町名ともその一部)
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三輪野山一丁目
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2007年9月2日
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大字三輪野山字道面・字小谷津の各一部
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三輪野山二丁目
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大字三輪野山字八重塚・字道六神・字道面・字小谷津の各一部
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三輪野山三丁目
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大字三輪野山字道六神・字北浦の各一部
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三輪野山四丁目
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大字三輪野山字八重塚・字道六神・字北浦・字宮前・字八幡前・字諸下の各一部、大字市野谷字下屋敷の一部
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三輪野山五丁目
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大字三輪野山字北浦・字堀込・字八溜・字宮前・字諸下の各一部、大字下花輪字和田・字寺下の各一部
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小字
大字三輪野山、三輪野山一丁目と二・五丁目の一部は地番整理が行われておらず、10の小字が存在する。ここでは、大字三輪野山、三輪野山一・二・五丁目の小字を北から順に列挙する。
- 諸下(一部が2007年(平成19年)に三輪野山四丁目に編入)
- 向原
- 宮前(一部が2007年(平成19年)に三輪野山四丁目に編入)
- 込ノ内(一部が2007年(平成19年)に三輪野山四丁目に編入)
- 八幡前(大部分が2007年(平成19年)に三輪野山四丁目に編入)
- 堀込(2007年(平成19年)に三輪野山五丁目に編入し、全域で小字が残る)
- 八溜(2007年(平成19年)に三輪野山一・五丁目に編入し、全域で小字が残る)
- 道面(2007年(平成19年)に三輪野山一・二・三丁目に編入し、未地番整理地区に小字が残る)
- 小谷津(一部が2007年(平成19年)に三輪野山二丁目に編入し、編入部分を含め、全域で小字が残る)
- 八重塚(2007年(平成19年)に三輪野山二丁目に編入し、南部の未地番整理地区に小字が残る)
消滅した小字
- 北浦(2007年(平成19年)に三輪野山三・四・五丁目に編入され、消滅)
- 道六神(2007年(平成19年)に三輪野山二・三丁目に編入され、消滅)
世帯数と人口
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 |
世帯数 |
人口
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三輪野山
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89世帯
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245人
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三輪野山一丁目
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481世帯
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1,206人
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三輪野山二丁目
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525世帯
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1,496人
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三輪野山三丁目
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251世帯
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773人
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三輪野山四丁目
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268世帯
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815人
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三輪野山五丁目
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134世帯
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368人
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計
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1,748世帯
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4,903人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5][6]。
施設
- 流山警察署 - 大字三輪野山字向原
- 茂侶神社(旧・三輪神社) - 三輪野山五丁目(旧・大字三輪野山字北浦)
脚注
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北部地域 | |
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中部地域 | |
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南部地域 | |
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東部地域 | |
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カテゴリ |