一関市立真滝中学校(いちのせきしりつ またきちゅうがっこう)は、岩手県一関市滝沢にあった公立中学校。略称は真中(まちゅう)[2]。
概要
学制改革により1947年に開校し、中学校統合計画により2008年を以って閉校した中学校である[4]。校名に「真滝」を冠していたのは、この地区一帯が1948年まで真滝村だったことに由来している[5]。旧真滝村域のうち、滝沢地区の広範囲を学区としていた[注 1][6]。
1952年に滝沢字水口へ独立校舎を落成するまでは、滝沢小学校(滝沢字寺下)の2代目校舎に併設していた[7][8]。移転する15日前(10月1日)には、真柴地区を学区としていた真柴分校が近隣の一関中学校へ統合されている[9]。
校歌は1949年に制定され、作詞は千葉左京、作曲は千葉了道が担当した[8]。作詞に関しては、当時在任していた教職員が各自作詞したものから千葉と蜂谷の2案まで絞り込み、当時花巻町(現:花巻市)に住んでいた詩人・歌人の高村光太郎が最終的に千葉が書き上げた歌詞を採用し、蜂谷の歌詞は応援歌にすることが決まった経緯がある。校章は開校後すぐに制定され、中央で交わるように3枚の柏の葉があしらわれた上に「中」の文字が配置されている。それぞれの柏の葉は、教育目標である「知」「徳」「体」を表しており、3枚が中央で交わることで調和のとれた生徒になるよう願いが込められている。採用した柏の葉に因み、校舎落成の際には柏の木が校地内に植えられた[10]。
画像外部リンク |
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校章 公式サイト(2003年3月25日アーカイブ分) |
生徒数は、記録が残る中では1952年度の291人が最多である。1967年度から1980年度にかけては減少の一途をたどり、その後は100人前後で推移していた[注 2]。閉校する2007年度には86人となり、一関市内の中学校では4番目に少ない生徒数となっていた[11]。
閉校後、跡地には後述する統合先・一関市立一関東中学校が立地している[4]。
沿革
第二次世界大戦後の1947年4月、学制改革に基づき「真滝村立真滝中学校」として開校したのが起源となる[8]。独立校舎を有していないため一関市立滝沢小学校へ長らく併設したのち、1952年10月に真柴分校が一関市立一関中学校へ統合された直後に、北西へ800メートルほど進んだ滝沢字水口の高台[8]に設けた木造モルタルづくりの校舎へ移転した[7][9][8]。その後学校林や体育館を順次設置し、1963年からは牧澤神楽(鶏舞)の継承活動を、1977年からは森林愛護活動を始めた[8][12]。
1982年に「全国良い歯の学校」として受賞したのを皮切りに数々の賞を受賞したのち、1994年にはプールを落成した[8]。なお、プールは閉校後に一関東中学校が引き継いで使用している[4]。
年表
学校目標
基本目標
心身ともに健康で、自己をより一層伸ばそうとする実践力があり、互いの人格を認めあい、将来の社会人として必要な資質の育成を目指す。
具体目標
- 向学心に燃え、ひたむきに努力する生徒の育成
- 思いやりがあり、友情にあつい生徒の育成
- 旺盛な気力を持ち、体力つくりに励む生徒の育成
出典:[8]
部活動
運動部
- 野球部
- ソフト部
- バレー部
- テニス部
- 卓球部
- 柔道部
出典:[14]
施設概要
主な施設を掲載。
- 校舎(1,990 m2)
- 体育館(595 m2)
- 校庭(12,609 m2)
- プール
- 学校林 - 学校の北側に立地していた[8]。
生徒・学級数
1949年度以降の生徒数と学級数の推移。1962年度から1971年度、1973年度から1985年度、2000年度以降は毎年度掲載。
年度
|
生徒数
|
増減
|
学級数
|
増減
|
出典
|
備考
|
1949(昭和24)年度
|
265
|
|
9
|
|
[15]
|
|
1952(昭和27)年度
|
291
|
26
|
9
|
0
|
[16]
|
|
1955(昭和30)年度
|
224
|
-67
|
9
|
0
|
[17]
|
|
1958(昭和33)年度
|
196
|
-28
|
6
|
-3
|
[18]
|
|
1962(昭和37)年度
|
238
|
42
|
6
|
0
|
[19]
|
|
1963(昭和38)年度
|
234
|
-4
|
6
|
0
|
[20]
|
|
1964(昭和39)年度
|
218
|
-16
|
6
|
0
|
[21]
|
|
1965(昭和40)年度
|
234
|
16
|
6
|
0
|
[22]
|
|
1966(昭和41)年度
|
246
|
12
|
6
|
0
|
[23]
|
|
1967(昭和42)年度
|
225
|
-21
|
7
|
1
|
[24]
|
|
1968(昭和43)年度
|
215
|
-10
|
7
|
0
|
[25]
|
|
1969(昭和44)年度
|
189
|
-26
|
8
|
1
|
[26]
|
|
1970(昭和45)年度
|
175
|
-14
|
6
|
-2
|
[27]
|
|
1971(昭和46)年度
|
169
|
-6
|
6
|
0
|
[28]
|
|
1973(昭和48)年度
|
146
|
-23
|
5
|
-1
|
[29]
|
|
1974(昭和49)年度
|
129
|
-17
|
5
|
0
|
[30]
|
|
1975(昭和50)年度
|
125(3)
|
-4
|
5(1)
|
0
|
[31]
|
|
1976(昭和51)年度
|
117
|
-8
|
4
|
-1
|
[32]
|
|
1977(昭和52)年度
|
101
|
-16
|
3
|
-1
|
[33]
|
|
1978(昭和53)年度
|
89
|
-12
|
3
|
0
|
[34]
|
|
1979(昭和54)年度
|
76
|
-13
|
3
|
0
|
[35]
|
|
1980(昭和55)年度
|
73
|
-3
|
3
|
0
|
[36]
|
|
1981(昭和56)年度
|
83
|
10
|
3
|
0
|
[37]
|
|
1982(昭和57)年度
|
91
|
8
|
3
|
0
|
[38]
|
|
1983(昭和58)年度
|
95
|
4
|
3
|
0
|
[39]
|
|
1984(昭和59)年度
|
103
|
8
|
4
|
1
|
[40]
|
|
1985(昭和60)年度
|
107
|
4
|
4
|
0
|
[41]
|
|
1987(昭和62)年度
|
121
|
14
|
3
|
-1
|
|
|
2000(平成12)年度
|
117
|
-4
|
4
|
1
|
[43]
|
|
2001(平成13)年度
|
104
|
-13
|
4
|
0
|
[44]
|
|
2002(平成14)年度
|
105
|
1
|
4
|
0
|
[45]
|
|
2003(平成15)年度
|
97(1)
|
-8
|
4(1)
|
0
|
[46]
|
|
2004(平成16)年度
|
110(2)
|
13
|
4(1)
|
0
|
[47]
|
|
2005(平成17)年度
|
100(2)
|
-10
|
4(1)
|
0
|
[48]
|
|
2006(平成18)年度
|
90(1)
|
-10
|
4(1)
|
0
|
[49]
|
|
2007(平成19)年度
|
86
|
-4
|
3
|
-1
|
[11]
|
閉校
|
※生徒数・学級数内の()は特別支援生徒・学級数
|
学区
- 一関市滝沢
- 真滝7区、8区、10区、11区
- 真滝9区(一部)
- 真滝12区(一部)
- 水口区
出典:[6]
進学前小学校
出典:[6]
アクセス
滝沢地区の高台、一関東中学校付近に位置していた。
鉄道
バス
- 「水口」バス停(岩手県交通・本郷線)から徒歩で約8分
- 「寺田下」バス停(同上)から徒歩で約10分
自動車
- 国道284号(真滝バイパス)滝沢字鶴ケ沢の交差点から市道経由で約2分
周辺
- 一関市真滝学校給食センター
- 一関市立真滝幼稚園
- 一関木材流通センター
- 一関警察署真滝駐在所
出身者
脚注
注釈
- ^ また、1952年9月までは真柴地区も学区としていた。
- ^ 詳細は「#生徒・学級数」を参照。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク