ヴェッター (ヘッセン)
ヴェッター (ヘッセン) (ドイツ語: Wetter (Hessen), ドイツ語発音: [ˈvɛtɐ][2]) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州マールブルク=ビーデンコプフ郡の小都市である。プロイセン統治時代の州名に基づく「ヴェッター (ヘッセン=ナッサウ)」という名称は一般には定着せず、事実上鉄道関連でのみ用いられたが、現在もこの町の駅の名称に用いられている。 地理位置ヴェッターは、ブルクヴァルトの西端、ヴェトシャフト川の谷に位置する。マールブルクの北、約 14 km にあたる。ビーデンコプフやダウトフェタールに接する町の西部地区はもうロタール山地内である。ザックプファイフェン=フォアヘーエンと呼ばれるこの地域には高さ 510 m のホラーベルクがある。これが町内の最高地点である。 隣接する市町村ヴェッターは、北はローゼンタール(ヴァルデック=フランケンベルク郡)、東はラウシェンベルクおよびケルベ、南はラーンタール、南西はダウトフェタール、西はビーデンコプフおよびミュンヒハウゼン(以上いずれもマールブルク=ビーデンコプフ郡)と境を接する。 市の構成
歴史![]() ヴェッターはエーバーハルディ文書(1150年 - 1160年)に初めて記録されている。この街は王領に面して発展した地区の中央に位置するカロリング朝の王廷であったと推測されている。近くのクリステンベルクにあったフランク人の城がその成立に関連している可能性もある。この街は、フランクフルト周辺地域からザクセン人の地方(パーダーボルン)へ南北に通る重要な広域通商路であったヴァイン街道(ヴァーゲン街道)の徒渉地に位置していた。考古学的発掘によってクロスターベルクの入植地は 8世紀にまで遡ることが判っている。11世紀から家畜が飼育されていたことも動物の骨が出土することで証明されている。 市場町ヴェッターは1223年に "cives" として記述されており、これによりヘッセン州で最も古い「市」の 1つとされている。1235年にはすでに 5人の市民と審判人が記録されており、都市権を有していたことが判る。 ヴェッター修道院は、おそらく 11世紀の初めに創設された。この修道院は、オットー家との関係が推測されている。この修道院は、1108年に初めて文献に記録された。修道院は、後には貴族の女性を受け容れるだけでなく、教育機関としても利用された。 エリーザベト・フォン・テューリンゲンのマールブルクでの活動や、この聖女の墓への巡礼によってマールブルクが発展するにつれ、ヴェッターの発展に陰りが生じた。その後マールブルクがドイツで最も重要な巡礼地の1つとなり、16世紀にフィリップ大学マールブルクが創設されると、ヴェッターは急速にその重要性を失っていった。度重なる火災(たとえば1622年、1626年、1629年、1649年)によって、修道院教会などのわずかな建物を残して、何度も町が焼失したこともこの街の発展の妨げとなった。 行政議会ヴェッターの市議会は 31議席からなる[3] 首長2012年3月4日の直接市長選挙では、当時無所属現職のカイ=ウーヴェ・シュパンカが 70.66 %(3,134票)の票を獲得して再選され、同年7月1日から 6年間の任期に就くこととなった[4]。 聖職者任命権宗教改革の過程で、ヘッセン方伯フィリップ1世によりヴェッターの牧師の任命権は修道院が有すると定められた。これは現在市長局に引き継がれている。市当局は現在も空位の牧師職に対する候補者を教区監督官に推薦する権利を有しているのである。このため、市は教会の建物を維持管理する責任を負っている。 紋章図柄: 金地(黄色地)。基部に緑の三峰の山。その上に3輪の銀(白)の花を付けた緑のユリ。その両側に2枚の傾いた小盾があり、その中にはヘッセンの獅子とマインツの輪がそれぞれ描かれている。 紋章の中に小盾として描かれているのは、かつてこの街を共同で統治したヘッセン方伯とマインツ大司教の紋章である。 姉妹都市
文化と見所![]() 市立文書館1993年に設立された市立文書館は16世紀初めの市や参事会の資料を保管している。さらに市と教会との間の連絡の手紙を収集している。重要なのは17世紀初めの役所の台帳である。いくつかの書巻は失われたヴェッター修道院の中世盛期の手書き書類であると同定されている。 ヴェッター修道院の書類は、州立文書館マールブルクに収蔵されている。 建造物
定例行事7年に1度グレンツガングフェストが開催される。次回は2015年8月である。1939年のグレンツガングフェストの際に、ヴェッター出身のカール・アルベルトはグレンツガングの歌を作詞し、これ以後、この祭ではヴェッター市民によってこの歌が歌われる。 経済と社会資本交通オストヴェストファーレン=リッペ地方からコルバッハやフランケンベルクを経由してラーンタール=ゲッティンゲンへ至る連邦道 B252号線が市域を南北に通っている。ヴェトシャフト川の谷に位置する地区の交通渋滞解消のためにバイパス道路の建設が計画されている。しかしこの西バイパスと呼ばれる道路の建設によって重要な自然保護・近郊保養地区が破壊されるとして、強く反対されている。 ブルクヴァルト鉄道は、この街とマールブルクやフランケンベルクとを結んでいる。この鉄道を運営するクールヘッセン鉄道はフランケンベルクとコルバッハとの間の区間への継続運行再開を計画している。 参考文献
引用
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