レニー・ディナルド
レオナルド・エドワード・ディナルド(Leonard Edward DiNardo, 1979年9月19日 - )は、フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。イタリア系アメリカ人である。 経歴プロ入りとメッツ傘下時代1998年にドラフト10巡目(全体295位)でボストン・レッドソックスから指名されるが、契約せずフロリダ州デランドのStetson Universityに進学。 2001年のドラフトでニューヨーク・メッツから3巡目(全体102位)で指名されプロ入りする。 レッドソックス時代2003年12月15日に行われたルール・ファイブ・ドラフトでレッドソックスから指名され移籍[1]。 2004年4月23日にメジャーデビュー。この年は全てリリーフで22試合に登板した。 2006年のMLBシーズン前に開催されたワールド・ベースボール・クラシックでは、イタリア系アメリカ人であることからイタリア代表入り。その後のMLBシーズンでは、故障したデビッド・ウェルズの代役として一時は先発ローテーション入りし、メジャー初勝利も挙げたが、防御率7.85・WHIP2.077という成績だったためオフに放出された。 アスレチックス時代2007年2月14にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスに移籍[1]。リリーフとして開幕を迎え、11試合で防御率1.83と好投したため先発陣入りを果たした。初めてシーズン途中でマイナーに降格することなく、1年間メジャーで投げ切り8勝を挙げた[2]。 2008年は一転して1勝しか挙げられなかった。9月29日にFAとなった[1]。 ロイヤルズ時代2008年12月17日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[1]。 2009年はAAA級オマハで23試合の先発を含む29試合に登板し、10勝5敗、防御率3.32、WHIP1.17の成績を残し、9月10日にメジャーに昇格。5試合に先発したが28失点と打ち込まれ3敗を喫した。オフの11月11日にFAとなった[1]。 ロイヤルズ退団後2010年1月7日に古巣のアスレチックスとマイナー契約[2]。AAA級サクラメントでは9試合の先発を含む10試合に登板し、2勝5敗、防御率3.59、WHIP1.53の成績を残したが、メジャーでプレーすることはなかった。オフの11月6日にFAとなった[2]。 2010年12月16日に古巣のレッドソックスとマイナー契約を結んだが、2011年開幕前の3月29日に自由契約となった[2]。 2011年は4月にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約したが、5月21日にアスレチックスと三たびマイナー契約を結んだ。オフの11月2日にFAとなった[2]。 2012年2月17日に台湾CPBLのLamigoモンキーズに入団したが、成績不振のため5月25日に解雇された。 2013年はアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーした。この年限りで現役を引退した。 現役引退後2017年より、ニューイングランド・スポーツ・ネットワーク(NESN)で放送されるレッドソックス戦中継において、アナリストを務めている[3]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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