ルーマニア空軍
ルーマニア空軍(ルーマニア語: Forţele Aeriene Române フォルツェレ・アエリエネ・ロムネ、FAR)は、ルーマニア軍の空軍。 概要前身は1910年に創立されたルーマニア王立航空隊(ARR)にまで遡ることができる。その後、ルーマニア人民共和国空軍(FARPR)を経て、ルーマニア革命後に現在の名称に改められた。 英語では「Romanian Air Force」と呼ばれる。略称は「RoAF」である(イギリス空軍の略称「RAF」と区別するため)。 空軍参謀本部、5つの空軍基地、第1防空ミサイル旅団などから成る。 沿革前史日本などではカタパルトを使用して離陸したライトフライヤー号の飛行が人類初の動力飛行だと語られることが多いが、「人類初の動力飛行」についてはいくつかの異説がある。そのうちのひとつに、ルーマニアの飛行家トライアン・ヴイアが自作のヴイア-1で1906年3月18日にパリ近郊で約15 mの独立動力飛行を行ったのが最初であるという説がある。ロケットやジェットエンジンの研究も早くから行われ、世界初のジェット機コアンダ1910を開発し、ずっとのちになってジェット機開発に生かされることになるコアンダ効果を発見したのもルーマニア人のアンリ・コアンダであった。 このように、航空機時代の幕開けにおいてその最先端を走っていたルーマニアに航空隊が創設されたのはごく自然のことであったかもしれない。そして、ルーマニアでは第二次世界大戦での敗戦まで膨大な数の航空機が開発され、国内外へ配備されていったのである。 ルーマニア王立空軍設立時、ルーマニア王立空軍(ルーマニア王立航空隊、Aeronautica Regală Română、ARR)は他国の航空隊と同様ブレリオ XIやファルマンを中心とする装備を保有していた。 1916年8月27日にルーマニア王国は第一次世界大戦へ参戦し、連合国側に立ってオーストリア・ハンガリー帝国と戦うこととなった。第一次大戦を通じて、航空隊の装備はニューポール製戦闘機などへ更新された。停戦後はトランシルヴァニアをめぐるハンガリーとの戦闘へも投入された。航空隊はバルカン半島方面での戦闘にも加わった。ルーマニア軍はハンガリー領であったウクライナのブコヴィナを占領し、これは1919年のサン=ジェルマン条約により追認された。これにより、念願の「大ルーマニア」が実現された。 この年の9月19日には、北ベッサラビアにおいて旧ウクライナ国軍航空隊のR.XIVaが捕獲されたが、これがルーマニアにとって初の大型航空機となった。R.70とも呼ばれたR.XIVはツェッペリン・シュターケンによる「巨人機」シリーズのひとつで、翼長42.20 m、全長22.50 m、総重量11.848 tもある文字通りの「巨人機」で、これはのちにルーマニアが装備した4発爆撃機B-24よりもさらに大きかった。最大2 tの爆弾を搭載できるこの航空機は、260 馬力のレシプロエンジン4発によって飛行した。 戦間期には、航空隊はポーランドやフランスなどの航空先進国から新鋭機を導入するとともに自国での開発も続けた。IAR社によって開発された初めての自国製戦闘機IAR-14は航空隊に採用され、練習戦闘機として使用された。ポーランドのPZL社が開発したP.11戦闘機の改良型であるP.11fやP.24eもライセンス生産され、これをもとに「二次大戦最高のルーマニア戦闘機」と呼ばれるIAR-80シリーズが開発された。その他にも多くの航空機がライセンス生産され、ルーマニアの航空産業は大いに発展した。二次大戦が始まる頃には、約80種類の国産機が配備されていたといわれる。 二次大戦が勃発すると、ルーマニア国民は列強に対し無力であった国王カロル2世を退位させ、枢軸国側に立って参戦した。ルーマニア軍は、ベッサラビアを占領したソ連軍と激しい戦闘を行った。ルーマニア軍はスターリングラード攻防戦にも参加したが、そこで枢軸国側は大敗を喫し、以降ルーマニア航空隊も以前にまして厳しい戦いを強いられるようになった。ルーマニアにとって最大の重要軍事拠点であったコンスタンツァの工業地帯では国産のIAR-80やメッサーシュミット社製のBf 109などが防衛に当たり、米陸軍航空軍の爆撃機の迎撃に奮戦した。 ルーマニア人民共和国空軍1944年8月に再び政変が起こると、ルーマニアは今度は連合国側に寝返った。戦争は連合国側の勝利に終わったが、ルーマニアはソ連の進駐を受けた。1947年12月30日に人民政府により王政が倒されると、ルーマニアは国号をルーマニア人民共和国と改めた。 戦後、ルーマニアは枢軸国側についた咎で軍備の削減を求められたが、人民政府のもとでソ連からの支援を受け、1949年にルーマニア人民共和国空軍(Forţele Aeriene Republicii Populare Române、FARPR)の設立を果たした。 ニコラエ・チャウシェスク大統領の独自路線のもとでルーマニアの航空産業は再び堅調な発展を見せたが、ソ連の「下請け」という役割を大きく逸することは許されなかった。また、装備したMiG-23やMiG-29などの新鋭機は数が少なく、技術移転もされなかった。その点で戦後のルーマニアの航空産業に大きな寄与をしたのはYak-52などの多目的機であった。また、多数が配備されたMiG-21シリーズは国内で全面的な整備が行われていた。 ルーマニア空軍1989年のいわゆるルーマニア革命の後、空軍はルーマニア空軍(FAR)と改称された。 現在のルーマニア空軍の航空戦力は、ルーマニアのアエロスター社とイスラエルのIAI、エルビット・システムズによるMiG-21の近代化改修型であるMiG-21ランサーA/B/C 36機を主力としている[1]。MiG-23やMiG-29など維持費用のかかる複雑な機体は軍事予算の縮小や機体自体の老朽化により2004年までにすべて退役した。また、ユーゴスラヴィア紛争でユーゴスラヴィアの航空産業が大きな被害を受けたため、同国のSOKO社と共同開発したJ-22オラオ(IAR-93ヴルトゥル)は技術協力が得られなくなり、すべて退役している。IAR-99ショイムは、現在国内への配備と海外への輸出が努力されている国産の練習機・軽攻撃機である。その他、ソ連で開発された軽多目的機Yak-52を国産化したIAK-52の各派生型など、小型機の生産にも力を入れている。 輸送機としては、ソ連製のAn-24やAn-26退役後は、C-130やC-27Jを導入している。 ヘリコプターも多数保有しており、フランスのSA.330プーマをライセンス生産したIAR-330Hなどを配備している。また、対戦車ヘリコプターとしては派生型のIAR-330LプーマSOCATを配備している。他の旧ワルシャワ条約機構加盟諸国と違い、ソ連製のMi-8やMi-24ハインドなどは少数しか用いられていなかった。 2004年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟したことに伴い、ヨーロッパ各国の軍隊と共同訓練を行う機会も増えており、組織・装備の再編成が行われている。2009年の経済不況からMiG-21ランサーの後継機導入は延期となっていたが、2013年にはポルトガル空軍の中古のF-16を12機導入することを決定した[2]。 組織
階級陸軍式と海軍式が混用される独自の階級呼称である。 将校下士官・兵国籍識別標ルーマニアでは、伝統的には主として第一次世界大戦時の連合軍機のような円形の国籍識別標(ラウンデル)が使用されてきた。その後、第二次世界大戦時にドイツ式の十字架に改められ、1944年まで使用された。いったん円形に戻ったが、共産主義系の人民政府が成立すると、円形のものを改めてソ連式の「赤い星」のバリエーションが採用された。これは1985年に円形のものに戻されるまで使用された。冷戦終結後の現在では、諸外国で標準的な円形の識別標が使用されている。
現役装備固定翼機回転翼機防空装備主な運用機1910年 - 1920年
1920年 - 1945年戦闘機・戦闘爆撃機
1945年 -戦闘機
爆撃機 偵察機 輸送機
練習機
試作機 出典外部リンク
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