ル・ヴェジネ (Le Vésinet )は、フランス のイル=ド=フランス地域圏 イヴリーヌ県 のコミューン 。
パリ から西方へ電車RER で約20分の郊外に位置する高級住宅街で、広大な公園の中に戸建て住宅を点在させるという19世紀に新たに生まれた計画都市 の概念に基づいて開発・分譲された公園都市。周囲には公園や人工の川や湖が配置され、植樹されて100年以上たつ樹木が道路沿いに並ぶ(2007年度の花のまちコンクール で4つ花を獲得している)[ 1] 。現在も当時の分譲地の特徴をとどめており、ギマール によるアール・ヌーヴォー 建築をはじめ、見どころも少なくない。
地理
イビス湖
ル・ヴェジネはセーヌ川の大きく湾曲した部分の中央に位置するが、セーヌ川には直接接していない。パリの19キロメートル西、サン=ジェルマン=アン=レー の4キロメートル東にあり、広さは約450ヘクタール。
コミューンの領域は28メートルから45メートルの標高の沖積平野で構成されている。コミューンは全体的に都市化されており、大部分は住宅である。緑地はコミューン全体の20%を占める。コミューンに広がるこれらの緑地には人工の水辺がつくられた。シュペリウール湖、アンフェリウール湖、スタシオン湖、クロワジー湖、「イビス湖」[ 2] または「大イビス湖」[ 3] と呼ばれることのあるグラン湖である。これらの湖は、プティット・リヴィエールと呼ばれるほぼ4キロメートルの人工の川によって互いにつながっている。
交通
由来
ル・ヴェジネとはラテン語のvisiniolum(近隣の場所を意味する)に由来する。これはラテン語で「集落」を意味するVicinumから派生している[ 4] 。
歴史
スタシオン湖
ル・ヴェジネについて最初に名が記されたのは704年の憲章においてで、Visiniolumという名であった。この憲章において、キルデベルト3世 はル・ヴェジネの地とそれに隣接するペックの地を12世紀にサン=ヴァンドリーユ修道院(fr )の修道士たちに授けている。
かつてル・ヴェジネの土地は森に覆われていた。そこは16世紀にフランソワ1世 が買い取った古いイヴリーヌの森の一部で、長い間王領の狩猟地であった。中世から、ル・ヴェジネの地で狩猟をしたことのなかったルイ14世 の時代まで悪い評判が伝わっていた。ノアイユ枢機卿(fr )はそれらを一掃し、農民のために家屋や礼拝堂をたてた。
フランス革命 時代、森は分割され、クロワシー、シャトゥー 、モンテッソン、ル・ペック といった新しいコミューンが生まれた。
1837年、新たな鉄道路線パリ・サン=ラザール駅-ル・ペック駅区間が開通した。1848年、路線はサン=ジェルマン=アン=レーまで延長された。1862年にル・ヴェジネ駅が開業している。1855年、貧困根絶を唱え、福祉事業に熱心だったナポレオン3世 は就労中に怪我をしたり病気になった労働者用のリハビリ施設の建設を計画し、1859年9月に、労働者向けの療養所がル・ヴェジネで開業した。
1856年、森林に覆われたル・ヴェジネを都会風の新たな都市とするため、パリュ・エ・シィ社が誕生した。管理者アルフォンス・パリュは、ナポレオン3世の異父弟モルニー伯 とのつながりがあった(モルニーはドーヴィル やビアリッツ の都市化に最初関わった人物でもある)。目的を達成するため、パリュはナポレオン3世と土地を交換することに同意した。サン・ジェルマンの森とマルリーの森の間にある321ヘクタールの土地を交換する代わりに、ル・ヴェジネの436ヘクタールの土地(およびサン・ジェルマンの森のうち49ヘクタール)で皇帝が狩猟を行えることとした。
まちの設計図はイギリスの庭園都市 の計画に従ってポール・ド・シュロ伯に委託された。シュロ伯の主導により、市中心部はグリッド・パターン(碁盤の目)が採用され、景観と給水施設を兼ねた5つの人工湖と、それらを繋ぐ川が造られ、その周囲には緑地帯が設けられた。これらを設計したのがパリュ社の建築家ピエール・ジョセフ・オリーヴである。シュロとオリーヴは1858年付でル・ヴェジネを描いた鳥瞰図に共同署名している。まちの中心には伝統に従って教会、サント・マルグリット教会が置かれた。この建物はフランス初のコンクリート製の公共建築物の1つとなっている。
パリュ社によるこの造成地は、フランスの郊外型分譲地のはしりのひとつで、1858年10月10日に競売形式で販売が開始された。同年に、分譲地購入者が守るべき景観 規制の覚書が草案され、1863年に細かい規則が定められた。住宅や周辺設備などの建築規制だけでなく、庭師と花屋以外は禁止されるなど、営業規制も定められた。これはフランスで最初に施行された計画的な景観設計の1つである。
1875年3月31日、ル・ヴェジネはコミューンとなった[ 5] 。初代市長はアルフォンス・パリュであった。
人口統計
1962年
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
2006年
17964
18459
17986
17272
15945
15928
16419
参照元:1962年までCassini de l'EHESS[ 6] 、1968年以降INSEE [ 7] · [ 8]
経済
まちは住宅街である。複数の受賞者名簿によると、ル・ヴェジネは国外在住者が多く暮らすコミューンで、イル=ド=フランス地域圏内でも高所得者が多く、平均住宅価格は100万ユーロ である[ 9] 。
ル・ヴェジネはナンテール 雇用ゾーンに含まれる[ 10] 。2006年の国勢調査では、ル・ヴェジネには4727種類の職があり、そのうち4007(約84%)は会社員で、720人(約15%)は自営業者だった。職種は第三次産業(行政、教育、健康、商業、サービス業、輸送業、不動産業)に分散する傾向にある。
史跡
サント・マルグリット教会
パレ・ローズ・デュ・ヴェジネ
ゆかりの人物
出身者
その他ゆかりのある人物
併せて、ル・ヴェジネ歴史協会(Société d'Histoire du Vésinet)の「著名なル・ヴェジネ居住者」参照[ 19] [ 20] [ 21] 。
姉妹都市
脚注
^ Palmarès du Concours des villes et villages fleuris dans les Yvelines Archived 2009年3月14日, at the Wayback Machine .
^ "Géolocalisation sur Geoloco" . geoloco.inovagora.net . 2012年6月15日時点のオリジナル よりアーカイブ。2012年6月15日閲覧 。
^ Le Vésinet sur la carte 1/25000 de l'IGN sur Géoportail ..
^ http://www.levesinet.fr/le_vesinet/menu_haut/decouvrir_la_ville/histoire_1
^ Voir par exemple la page 6 du P.O.S.
^
"Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui" . site de l'École des hautes études en sciences sociales . 2011年5月2日閲覧 。
^
"Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007)" (PDF) . Insee . 2011年5月2日閲覧 。
^
"Recensement de la population au 1er janvier 2008" . Insee . 2011年5月2日閲覧 。
^ blog-vesinet.fr, Le prix des maisons anciennes dans L'Express
^
"Zone d'emploi de Nanterre" (PDF) . Chambre régionale de commerce et d'industrie Paris - Île-de-France . 2009年9月23日閲覧 。
^ “Guillaume Apollinaire site officiel: Biographie: Chronologie ”. www.wiu.edu . 2019年12月16日 閲覧。
^ André Parinaud (1997). “V - Au Rendez-vous des poètes”. Apollinaire: 1880-1918 . Jean-Claude Lattès
^ “Hommage à Utrillo ”. histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。 “Extrait du Bulletin municipal, n°20 décembre 1971”
^ “Hommage à Joséphine Baker ”. www.histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。 “Alain-Marie Foy, Jean-Marie Dumont, Extrait du Bulletin Municipal, n°31, juin 1975”
^ “Biographie de Cécile chaminade ”. www.histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。 “Selon Gérard Condé, Introduction à "Pièces pour piano" (Editions Enoch) EMI-La voix de son maitre (1980) revu et corrigé par l'auteur à l'intention de la Société d'Histoire du Vésinet”
^ “Julien Green, souvenirs de sa jeunesse au Vésinet ”. www.histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。
^ “Hommage à Alain Decaux ”. www.histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。 “Assemblée générale de la Société d'Histoire du Vésinet, 5 avril 2016 - Hommage rendu à M. Alain Decaux par Alain-Marie Foy, président de la SHV.”
^ “Les vésigondins célèbres (3) ”. histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。
^ “Les vésigondins célèbres ”. histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。
^ “Les habitants célèbres (II) du Vésinet ”. histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。
^ “Les vésigondins célèbres (3) ”. histoire-vesinet.org . Société d'Histoire du Vésinet. 2020年6月18日 閲覧。
外部リンク