リンカーン法曹院

座標: 北緯51度31分01.65秒 西経00度06分52.48秒 / 北緯51.5171250度 西経0.1145778度 / 51.5171250; -0.1145778

Lincoln's Inn

リンカーン法曹院 (The Honourable Society of Lincoln's Inn) は、ロンドン中心部のカムデン区ホルボーンにある法曹院である。法曹院はロンドンに4つあり、リンカーン法曹院はその1つである。法曹院は法廷弁護士の養成・認定に関する独占的な権限を持ち、イングランドウェールズのすべての法廷弁護士および裁判官は4つの法曹院のいずれかに所属することが法律によって義務づけられている[1]

リンカーン法曹院は自らの名称にちなんだリンカーンズ・イン・フィールズに面しており、また王立裁判所にも隣接している。ロンドン地下鉄の最寄り駅はチャンスリー・レーン駅またはホルボーン駅

概要

都心とは思えない静かな法曹院の敷地
ニュー・チャペル
リンカーン法曹院図書館

リンカーン法曹院は法廷弁護士の育成・認定を行う非営利の協会組織である。他の3つの法曹院同様に、5世紀以上におよぶ歴史を持ち、その敷地内に図書館、宿泊施設、ダイニング、チャペル、庭園などを持つ。リンカーン法曹院の歴史は"Black Book"と呼ばれる書物に克明に記録されている。この書物は主に法曹院の財政的な事柄を記載したもので1422年の版から存在する。この1422年の版はリンカーン法曹院が1422年より遙に昔から存在したと記述しており、リンカーン法曹院が最古の法曹院だと一般に考えられている主因となっている。もっとも4つの法曹院は伝統的に同格であり、どの法曹院が最古かという論争はしないことになっているので、公式に最古の法曹院が決まっているわけではない。

リンカーン法曹院は遅くとも1442年から現在の場所と同じ場所にある。1442年の時点ではチチェスター司祭 (Bishop of Chichester)から土地を借りていたが、その後、1580年に自由保有権を取得している。またリンカーン法曹院という名称は第三代リンカーン公爵のHenry de Lacy (1249 – 1311)に由来すると考えられている。彼の大邸宅がホルボーンの少し東にあり、彼の名前が法曹院の支援者として記載されているためである。しかし、この説には異論もあり、リンカーン大司教であったRobert de Chesneyこそが法曹院の名称の由来であるという説もある。Chesneyは1161年に現在のSouthampton Building (リンカーン法曹院の東隣に位置する)が立っている土地にあった"Old Temple"を取得している。またChesneyはイングランド国王に大法官 (Chancellor)として仕えており、彼のこの役割がリンカーン法曹院の東にあるチャンスリー・レーン (Chancery Lane)という通りの名称の由来となったとされている。

リンカーン法曹院で特筆すべきはその荘厳な建築物であろう。15世紀後半から現存するオールド・ホールやチャンスリー・レーン側の門、17世紀に整備されたニュー・チャペルとニュー・スクウェア、そしてリンカーン・イン・フィールズ側のヴィクトリア朝時代の荘厳なゴシック建築でHardwick親子(父Philip Hardwickと息子Philip Charles Hardwick)が手がけたグレートホールと図書館などである。これらの建物は第二次世界大戦中ナチス・ドイツ軍によるイギリスへの空爆(ザ・ブリッツ)による被害を奇跡的に免れた。これらの建物はイギリス指定建造物一級に登録されている。リンカーン法曹院は、ロンドンの主要な観光スポットとは言い難いが、誰でもその敷地に無料で入ることができ、その美しい庭や建物を見学することが出来る。

リンカーン法曹院の図書館は法曹院同様長い歴史を持つ。この図書館は1471年には記録に登場しており、現在では15万冊の蔵書数を誇る。これらは主にイギリスの司法に関する書籍で、貴重なものも多い。特に貴重だと考えられているのは、"Hale Manuscripts"と呼ばれているもので、英国高等法院首席裁判官まで勤めたMatthew Hale1676年に逝去した後、彼の遺言に基づいてリンカーン法曹院に寄贈されたものである。図書館は英国のみならず他の英連邦諸国の司法関連書籍、判例集、法学の教科書なども多く蔵書している。英連邦の司法関連書籍に関しては、法曹院同士で役割分担して収集されており、リンカーン法曹院図書館はオーストラリアニュージーランドマレーシアシンガポールおよび太平洋アフリカにある英連邦の諸国を担当している。またリンカーン法曹院図書館はイギリス議会の議会議事録を1801年以来ほぼすべてを収集している。更に、地誌や法曹院周辺の歴史を記した書物、教区記録、小説、司法関連のパンフレットや小冊子などもある。これらパンフレットや小冊子のうち約2000点が16世紀以前のもので、法学・司法を研究する歴史家にとって貴重な情報源となっている。

現在の図書館はグレート・ホールの北端にある。グレート・ホールが建設された1843年から45年にかけて、図書館も作られた。その後、1872年ジョージ・ギルバート・スコットにより東側に増築されている。グレート・ホールが建築されるまでリンカーン法曹院図書館は1787年から1845年までは"No.2 Stone Buildings"、それ以前はオールド・ホール近くにあった。

リンカーン法曹院の敷地内には法学院のほかに68 Signal Squadronというイギリス軍で情報機器の運用を担っている部隊の本部が"No.10 Stone Building"に置かれている。このStone Buildingは18世紀後半にRobert Taylorによって設計された。

著名な関係者

英連邦大英帝国の影響下にあった国々にはコモン・ローという中世イングランドのプランタジネット朝に生まれた法体系を採用している国が多く、また歴史的経緯からそれらの国々とイギリスの法曹の人的交流も盛んである。そのためリンカーン法曹院の関係者には英国のみならず、それらの国からの留学生も多い。なお、下記の分類はあくまで主な活躍分野に基づいている。法曹院は法廷弁護士のための施設なので、下記関係者の多くが法廷弁護士資格の保持者だということに留意されたい。

政治家

トマス・モア

裁判官

その他

ギャラリー

脚注・参考文献・参考サイト

関連項目

外部リンク