ラファエル・パルメイロ・コラレス (Rafael Palmeiro Corrales , 1964年 9月24日 - )はキューバ のハバナ 生まれの元プロ野球選手 (一塁手 )。左投左打。
MLB史上4人目の「通算3000安打&500本塁打」を記録した選手。
息子のパトリック も2008年のMLBドラフト 22巡目でピッツバーグ・パイレーツ から指名され、プロ入りしたプロ野球選手。
経歴
プロ入り前
キューバの首都ハバナ で生まれるが、フィデル・カストロ によるキューバ革命 をきっかけに家族とアメリカ合衆国 に移住。ミシシッピ州立大学 (英語版 ) でプレーした。
プロ入りとカブス時代
1985年 のMLBドラフト 1巡目(全体22位)でシカゴ・カブス から指名され、プロ入り。
1986年 9月8日にメジャーデビューを果たす。
1988年 には152試合に出場し、打率.307を記録。オールスター に初めて選出された。
レンジャーズ時代
1988年12月5日にミッチ・ウィリアムズ らとのトレード で、ジェイミー・モイヤー らと共にテキサス・レンジャーズ へ移籍し[ 1] 、ピート・オブライエン (英語版 ) の後釜として外野手から一塁手へ転向した[ 2] 。
1993年 には打率.295、37本塁打、105打点を記録した。シーズン終了後にフリーエージェント となった。
オリオールズ時代
1993年12月12日にボルチモア・オリオールズ へ移籍した[ 1] 。
レンジャーズ復帰
1998年 12月1日に5年契約で古巣レンジャーズへ移籍[ 3] 。
1999年 は一塁手としてゴールドグラブ賞を受賞したが、一塁手としては28試合しか出場せず、指名打者として128試合に出場した。このゴールドグラブ賞の受賞は議論を呼んだ[ 4] [ 5] [ 6] 。
2003年 5月11日に史上19人目の通算500本塁打 (ヒスパニック としてはサミー・ソーサ に次いで2番目)を達成し、1995年 から9年連続で35本塁打・100打点を達成しジミー・フォックス のMLB記録に並んだ[ 3] 。
オリオールズ復帰
2004年 にはかつて所属していたボルチモア・オリオールズ と1年契約で再び移籍[ 3] 。加齢等によりバットスピードが遅くなり左投手の速球に対応できなくなり、前年は.282だった対左投手の打率は.189まで下がっている[ 7] 。
2005年 2月、元メジャーリーガーのホセ・カンセコ が著書「禁断の肉体改造 」を出版し、その中でパルメイロが筋肉増強剤のアナボリックステロイド を使用していると暴露した。パルメイロはこれにより2005年3月17日のアメリカ議会特別委員会での証言を求められた。委員会でパルメイロは、「まずこれを言いたい。私はステロイドを使ったことがない。以上終わり。これ以上何をどうはっきり言えというのかわからない。決してやっていない。(Let me start by telling you this: I have never used steroids, period. I don't know how to say it any more clearly than that. Never.)」と述べた[ 8] 。ステロイド使用疑惑を明確に否定したこの証言は称賛を集めた[ 9] 。
7月15日には史上26人目の3000本安打 を達成した。「3000安打&500本塁打」を達成したのは、ハンク・アーロン 、ウィリー・メイズ 、エディ・マレー に続き史上4人目である[ 10] 。なお、この歴史的瞬間に守備位置の右翼手 で立ち会ったイチロー は、「なかなかこんな機会に巡り合うことはない。貴重な瞬間だった」「ヒットを毎年200本打っても15年かかる記録。彼は19年間やっているそうですが、それだけ長い間グラウンドに立っていることだけでもすごい」「とても尊敬している。自分が500本塁打打つなんて、おそらく練習でもありえないし、まさに偉大な業績だ」と彼を称えた。ところが3000安打500本塁打を達成した直後の2005年8月1日、アナボリックステロイド使用の陽性反応が出た。パルメイロは「故意にステロイドは使用してはいない。なぜ陽性になったのかはわからない」とコメントしたが容れられず、結局MLBから10日間の出場停止処分を受けた[ 10] [ 3] 。半年前のアメリカ議会特別委員会の証言ではステロイド使用疑惑を強く否定していたため、パルメイロのドーピング違反は全米で大きく報道された[ 9] 。2005年は前年以上に打棒が衰えていたが、出場停止処分からの復帰後はファンからのブーイング によって精神的に疲労し、さらに不振におちいった。同年8月下旬のトロント・ブルージェイズ 戦ではついに耳栓 を使用するに至り[ 11] 、結局本塁打・打点と共に過去15年で最低の成績に終わり、オフにはチームから契約を解除された。以後はプレーせず、この2005年シーズン限りで実質引退状態となった。
引退後
引退後5年が経過した2011年 から、パルメイロはアメリカ野球殿堂 の殿堂入り表彰の候補者となった。しかし殿堂入り投票では選出に必要な75%以上の支持を集めることができず、毎年10%前後の得票率に留まった。得票率が伸びない原因としては、上述したステロイド使用疑惑の影響が指摘されている[ 12] 。2014年の投票で得票率が足切り基準の5%を下回ったため、翌年以降の殿堂入りの投票対象から外されることが決まった[ 13] 。パルメイロは、野球賭博に関与して永久追放処分を受けたピート・ローズ に続き、MLB通算3000本安打 を達成して殿堂入りを逃した史上2人目の選手となった。
2015年 9月18日に独立リーグ であるアトランティック・リーグ のシュガーランド・スキーターズ と選手として契約したことが発表される[ 14] 。スキーターズには息子のパトリック も所属し、シーズン終了まで親子で同じチームでプレーすることになった。
2018年 から2年間は同じく独立リーグアメリカン・アソシエーションのクリバーン・レイルローダーズ (英語版 ) に所属し、2018年は31試合に出場して打率.301、6本塁打、21打点、出塁率.424を記録した。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度
球 団
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
O P S
1986
CHC
22
78
73
9
18
4
0
3
31
12
1
1
0
0
4
0
1
6
4
.247
.295
.425
.720
1987
84
244
221
32
61
15
1
14
120
30
2
2
0
2
20
1
1
26
4
.276
.336
.543
.879
1988
152
629
580
75
178
41
5
8
253
53
12
2
2
6
38
6
3
34
11
.307
.349
.436
.785
1989
TEX
156
632
559
76
154
23
4
8
209
64
4
3
2
2
63
3
6
48
18
.275
.354
.374
.728
1990
154
651
598
72
191
35
6
14
280
89
3
3
2
8
40
6
3
59
24
.319
.361
.468
.829
1991
159
714
631
115
203
49
3
26
336
88
4
3
2
7
68
10
6
72
17
.322
.389
.532
.922
1992
159
701
608
84
163
27
4
22
264
85
2
3
5
6
72
8
10
83
10
.268
.352
.434
.786
1993
160
686
597
124
176
40
2
37
331
105
22
3
2
9
73
22
5
85
8
.295
.371
.554
.926
1994
BAL
111
498
436
82
139
32
0
23
240
76
7
3
0
6
54
1
2
63
11
.319
.392
.550
.942
1995
143
624
554
89
172
30
2
39
323
104
3
1
0
5
62
5
3
65
12
.310
.380
.583
.963
1996
162
732
626
110
181
40
2
39
342
142
8
0
0
8
95
12
3
96
9
.289
.381
.546
.927
1997
158
692
614
95
156
24
2
38
298
110
5
2
0
6
67
7
5
109
14
.254
.329
.485
.815
1998
162
709
619
98
183
36
1
43
350
121
11
7
0
4
79
8
7
91
14
.296
.379
.565
.945
1999
TEX
158
674
565
96
183
30
1
47
356
148
2
4
0
9
97
14
3
69
13
.324
.420
.630
1.050
2000
158
678
565
102
163
29
3
39
315
120
2
1
0
7
103
17
3
77
14
.288
.397
.558
.954
2001
160
714
600
98
164
33
0
47
338
123
1
1
0
6
101
8
7
90
8
.273
.381
.563
.944
2002
155
663
546
99
149
34
0
43
312
105
2
0
0
7
104
16
6
94
10
.273
.391
.571
.962
2003
154
654
561
92
146
21
2
38
285
112
2
0
0
4
84
9
5
77
7
.260
.359
.508
.867
2004
BAL
154
651
550
68
142
29
0
23
240
88
2
1
0
9
86
15
6
61
15
.258
.359
.436
.796
2005
110
422
369
47
98
13
0
18
165
60
2
0
0
8
43
4
2
43
9
.266
.339
.447
.786
MLB :20年
2831
12046
10472
1663
3020
585
38
569
5388
1835
97
40
15
119
1353
172
87
1348
232
.288
.371
.515
.885
年度別守備成績
年 度
球 団
一塁(1B)
左翼(LF)
中堅(CF)
右翼(RF)
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
1986
CHC
-
19
33
2
3
2
.921
-
3
4
1
1
0
.833
1987
18
112
8
1
15
.992
44
67
1
0
1
1.000
-
2
1
0
0
0
1.000
1988
5
30
5
0
1
1.000
145
287
5
5
1
.983
2
0
0
0
0
3
2
1
0
0
1.000
1989
TEX
147
1167
119
12
106
.991
1
0
0
0
0
-
-
1990
146
1215
91
7
123
.995
-
-
-
1991
157
1305
96
12
119
.992
-
-
-
1992
156
1251
143
7
131
.995
-
-
-
1993
160
1388
147
5
133
.997
-
-
-
1994
BAL
111
959
66
4
87
.996
-
-
-
1995
142
1181
119
4
120
.997
-
-
-
1996
159
1383
119
8
157
.995
-
-
-
1997
155
1304
112
10
124
.993
-
-
-
1998
159
1435
124
9
127
.994
-
-
-
1999
TEX
28
261
13
1
23
.996
-
-
-
2000
108
820
56
4
86
.995
-
-
-
2001
113
906
83
8
112
.992
-
-
-
2002
97
739
84
5
83
.994
-
-
-
2003
55
445
49
2
53
.996
-
-
-
2004
BAL
130
1090
95
8
114
.993
-
-
-
2005
93
747
58
4
68
.995
-
-
-
MLB
2139
17738
1587
111
1782
.994
209
387
8
8
4
.980
2
0
0
0
0
8
7
2
1
0
.900
表彰
記録
背番号
25 (1986年 - 1988年、1990年 - 2005年)
3 (1989年)
脚注
関連項目
外部リンク
業績 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代