ユージーン・ラバティ
ユージーン・ラバティ (Eugene Laverty, 1986年6月3日 - ) は、北アイルランド、バリーメナ出身のオートバイレーサー。兄のマイケル、ジョンも同じくオートバイレーサーである。 経歴ラバティは2004年、イギリス125cc選手権で2位を獲得した。2005年にはイギリススーパースポーツ選手権に参戦、ルーキーとして9位でシーズンを終えた。2006年にはレッドブルチームでダンロップタイヤを装着したホンダ・CBR600RRを駆り4勝を挙げたものの、カル・クラッチロー、トム・サイクスに次ぐ3位でシーズンを終えた[1]。 250cc世界選手権2007年はロードレース世界選手権、250ccクラスにLCRホンダから参戦し[2]、最高位は14位、シーズンを25位で終えた。バルセロナでは好走を見せたものの、エンジントラブルによりノーポイントに終わった[3]。 2008年シーズンはイギリスに戻りスーパースポーツかスーパーバイクに参戦するものと考えられたが、12月18日にブルーセンス・アプリリアと契約を交わし、プライベイター・チームで250ccクラスに継続参戦することとなる[4]。中国とポルトガルでポイントを挙げたものの、ル・マンではウェット路面のカーブでクラッシュした[5]。 スーパースポーツ世界選手権アプリリアから翌年にスーパーバイク世界選手権へのデビューが計画されていたものの、クリス・ウォーカーがチームに加入、フル参戦することとなり計画は断念された[6]。しかしながら、負傷したファビアン・フォレの代役としてヤマハファクトリーチームに加入、スーパースポーツ世界選手権の2戦に参戦する。インディアナポリス・グランプリで負傷していたが、ドニントン・パークでは12位に入賞、続くバレルンガでは3位に入賞した。彼はこのレースの前に、2009年は250ccへの参戦をやめてスーパースポーツ世界選手権への参戦に焦点を合わせた[7]。 ラバティはパーカルガー・ホンダチームと契約、2009年シーズンの参戦を決定した[8]。3月14日の第2戦、ロサイルでアンドリュー・ピットを打ち破り初勝利を遂げる。彼の勝利はパーカルガー・ホンダにとっても初勝利であった。その後3勝を挙げ、4度の2位と相まってカル・クラッチローに次ぐ2位でシーズンを終えた。 2010年シーズンは全13戦中8勝と最多勝を挙げたものの、シーズン成績はケナン・ソフォーグルに次ぐ2位であった。 スーパーバイク世界選手権2011年にはスーパーバイク世界選手権にYamaha World Superbike Teamから参戦した[9]。第4戦モンツァでは、レース1で自身初の優勝を獲得し、続くレース2も優勝してダブルウィンを達成した。スーパーバイク参戦初年度は表彰台を6度獲得し総合4位という成績だった。 2012年はヤマハがスーパーバイク世界選手権から撤退したため、アプリリアに移籍した[10]。チームメイトのマックス・ビアッジがチャンピオンを獲得したが、ラバティはポルティマオでの一度の優勝のみとなり総合6位でシーズンを終えた。2013年もアプリリアから参戦し、2012年限りで引退したビアッジに代わり、シルバン・ギュントーリがチームメイトとなった。この年、ラバティは9度の優勝を獲得。カワサキのトム・サイクスとチャンピオンを争ったが、サイクスがチャンピオンを獲得し、ラバティは総合2位であった。 2014年からはVOLTCOM CRESCENT SUZUKIからスーパーバイク世界選手権に参戦する[11]。ショーン・ミュア・レーシングを得て、RC Squadra Corseから参戦している。 通算成績シーズン別
参加クラス別
年度別(キー)(太字:ポールポジション)(斜体:ファステストラップ)
スーパースポーツ世界選手権(キー)(太字:ポールポジション)(斜体:ファステストラップ)
参照
外部リンク
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