メダグリアドーロ
メダグリアドーロ (Medaglia d'Oro) [2][3]はアメリカ合衆国生産、調教の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に、2002年のトラヴァーズステークス、2003年のホイットニーハンデキャップ、2004年のドンハンデキャップ。馬名はイタリア語で金メダルを意味する。 日本語表記には他に、メダーリアドーロ[4]、メダグリアドロー[5]、メダグリアドロ[6]などがある。 戦績
2001年12月7日、ターフウェイパーク競馬場のメイドン競走でデビューし2着、2002年の初戦となる2戦目で初勝利を挙げる。続くG2競走サンフェリペステークスで初重賞勝利を挙げG1競走初出走となったウッドメモリアルステークスは優勝のブッダとはアタマ差の2着に終わるも4戦2勝2着2回と連対を外していない戦績でクラシック三冠競走に向かい、第一冠ケンタッキーダービーは2番人気支持もウォーエンブレムの4着[5]。二冠目プリークネスステークスもウォーエンブレムの8着に崩れたが、ウォーエンブレムの三冠がかかったベルモントステークスでは、6番人気ながらサラヴァの2着に入った[5]。サラトガ競馬場でのジムダンディステークス1着ののちトラヴァーズステークスも制してG1競走初勝利を挙げる[5]。秋はブリーダーズカップ・クラシックに直接向かったが、レースでは1番人気に推されたものの12頭立ての最低人気だった伏兵ヴォルポニに6馬身半も離された2着に終わった[7]。 4歳となった2003年、初戦のストラブステークス、2戦目のオークローンハンデキャップとG2競走を2連勝ののち、8月のホイットニーハンデキャップではヴォルポニに1馬身差をつけて、前年のブリーダーズカップ・クラシックの雪辱を果たした。しかし、続くパシフィッククラシックステークスはレコードタイムで駆け抜けたキャンディライドの2着に終わり[8]、続くブリーダーズカップ・クラシックでは前年同様に1番人気に推されるものの、7番人気のプレザントリーパーフェクトの前に2年連続の2着に終わった[9]。選出されていたジャパンカップダート[3]や、次走に予定されていたクラークハンデキャップ[10]をパスして2003年のシーズンを終える。 5歳となる2004年の初戦ドンハンデキャップでは、前年2003年の二冠馬ファニーサイドらの挑戦を退けてG1競走3勝目を挙げ、ドバイワールドカップミーティングに向かう[11]。ドバイワールドカップでは、ブリーダーズカップ・クラシックに続いてプレザントリーパーフェクトと相まみえ、長いたたき合いの末に再び2着に終わった[12]。その後、6月に引退が発表された[5]。 競走成績以下の内容は、EQIBASE[1]およびRacing Post[13]の情報および記載法に基づく。
引退後2005年からヒルンデイルファームで種牡馬として供用された[5]。初年度の種付料は3万5000ドル。翌2006年にストーンウェルファームに移動。2009年に初年度産駒のレイチェルアレクサンドラがケンタッキーオークスを20馬身差で圧勝、プリークネスステークスを牝馬として85年ぶりに制するなどの活躍で、同年のエクリプス賞年度代表馬および最優秀3歳牝馬の座に就いた。2009年夏に非公開の価格でダーレーグループが所有権の半数を購買しジョナベルファームに移動、またオーストラリアへのシャトル種牡馬としても供用された[6][14]。2015年には、ジョナベルファームに移動時から据え置きだった種付料が12万5000ドルにまで上昇した[15]。総合リーディングは自己最高の2位をマーク。2018年は自己最高の25万ドルを記録した。25歳を迎えた2024年は7万5000ドルで供用されている。 主な産駒※G1競走優勝馬のみ
母の父としての主な産駒
血統表
脚注
外部リンク
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