ロバート・フランケルロバート・フランケル(Robert J.Frankel、1941年7月9日 - 2009年11月16日)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州を本拠地とした調教師である。馬主として競走馬の所有、生産者として競走馬の生産も行っていた。 出生地はニューヨーク市ブルックリン区で、晩年はカリフォルニア州パシフィックパリセーズ在住。愛称はボビー(Bobby)でボビー・フランケルと呼ばれることもある。フランケル自身は"ロバート"を好んでおりもっぱらそちらを使っていたが、周囲からは"ボビー"と呼ばれることが多かった。 来歴1960年代半ば、ベルモントパーク競馬場とアケダクト競馬場でホットウォーカー(曳き運動係)として働き、1966年に調教師免許を取得。11月29日にアケダクト競馬場で管理馬が初勝利を挙げた。開業当時はクレーミングレースで安く良馬を購入して勝ち鞍を量産していた。 1972年、カリフォルニア州ロサンゼルス地区へ拠点を移し、同年ハリウッドパーク競馬場でレコードとなる60勝を挙げた。それ以降大レースを次々と制覇することとなる。 1981年、11月に行われた第1回ジャパンカップに出走するペティテートと共に初来日を果たし、管理馬の中央競馬初出走となった同競走は8番人気で4着だった。 1988年、ジャパンカップをペイザバトラーが制し、管理馬が中央競馬及び中央競馬GI競走初勝利を挙げた。この勝利はジャパンカップ初挑戦から3戦目のことだった。 1993年、アメリカのリーディングトレーナーとなり、エクリプス賞最優秀調教師を初受賞。 1995年、パシフィッククラシック4連覇を達成。同年アメリカ競馬名誉の殿堂博物館殿堂入り。 2001年、ブリーダーズカップ・スプリントをスクワートルスクワートが制し、管理馬がブリーダーズカップ初勝利を挙げた。 2003年、ベルモントステークスをエンパイアメーカーが制し、管理馬がアメリカ三冠競走初勝利を挙げた。同年は北米年間レコードの1914万ドルを収得してリーディングトレーナーとなる。さらに同年の年間G1競走25勝は、1987年にウェイン・ルーカスが記録した北米記録の22勝、自身と2001年にエイダン・オブライエンが記録した世界記録の23勝を抜いて単独の世界新記録となった。 2005年、フォアゴーハンデキャップ3連覇とイエローリボンステークス3連覇を達成。 2007年、11月にメイトリアークステークス4連覇を達成。 2009年11月16日、カリフォルニア州パシフィックパリセーズの自宅にて白血病のため逝去[1]。 主な管理馬
主な生産馬
主な所有馬
主な表彰
人物・エピソード
関連項目脚注
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