トゥーソード(Toussaud)[5]とはアメリカ合衆国生産、イギリス・アメリカ調教の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1993年のゲイムリーハンデキャップなど。
経歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]、Racing Post[3]
1991年8月16日、ハーリド・ビン・アブドゥッラーの所有馬としてニューベリー競馬場でのメイドンステークスでデビューし、2着。2戦目で勝ち上がり、グラデュエーションステークスも勝って臨んだG3競走クリテリオンステークス(英語版)で重賞初制覇。リステッド競走のシルヴァートロフィー2着、G3競走ビーズウイングステークス(英語版)3着のあと馬主がアブドゥッラーの法人名義ジュドモントファームに変更され、アメリカに遠征してクイーンエリザベス2世チャレンジカップステークスに出走し4着に入る。このあとイギリスには戻らず、厩舎もジョン・ゴスデン厩舎からロバート・フランケル厩舎に変わった。
フランケル厩舎所属馬としての初戦、1993年4月サンタアニタ競馬場でのアローワンス競走を3着とし、ハリウッドパーク競馬場のG2競走ウィルシャーハンデキャップ(英語版)で重賞2勝目を挙げ[6]、続くゲイムリーハンデキャップでG1競走を初めて制する。7月のG2競走アメリカンハンデキャップ(英語版)と10月のリステッド競走オータムデイズハンデキャップも勝って4連勝としたが、その後はアローワンス競走2着、ブリーダーズカップ・マイルはルアーの4着、メートリアークステークスでもフローレスリー(英語版)の2着に終わって引退した。
競走成績
以下の内容は、EQIBASE[1]、Racing Post[3]の情報および記載法に基づく。
出走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭数 |
枠番 (PP) |
馬番 (Pgm) |
着順 |
騎手 |
斤量(lb./kg換算) |
タイム |
着差 |
勝ち馬/(2着)馬
|
1991.08.16
|
ニューベリー
|
メイドンS
|
|
芝6f8y(GF)
|
21
|
14
|
|
2着
|
W. R. スウィンバーン
|
123/55.5
|
|
(1馬身1/2)
|
High Sevens
|
1992.06.03
|
グレートヤーマス
|
メイドンS
|
|
芝6f3y(Gd)
|
6
|
7
|
|
1着
|
D. ホランド
|
121/55
|
1:15.30
|
1馬身1/2
|
(Nagida)
|
0000.06.13
|
ノッティンガム
|
グラデュエーションS
|
|
芝6f18y(GF)
|
7
|
4
|
|
1着
|
P. エデリー
|
128/58
|
1:12.50
|
1/2馬身
|
(Storm Dove)
|
0000.06.27
|
ニューマーケット
|
クリテリオンS
|
G3
|
芝7f(GF)
|
7
|
6
|
|
1着
|
P. エデリー
|
116/52.5
|
1:24.80
|
3/4馬身
|
(Prince Ferdinand)
|
0000.07.11
|
リングフィールド
|
シルヴァーT
|
L
|
芝7f135y(GF)
|
6
|
1
|
|
2着
|
P. エデリー
|
121/55
|
|
(短頭)
|
Thourios
|
0000.07.27
|
ニューカッスル
|
ビーズウィングS
|
G3
|
芝7f(GF)
|
7
|
4
|
|
3着
|
ポール・エデリー
|
122/55.5
|
|
(5馬身1/4)
|
Casteddu
|
0000.10.24
|
キーンランド
|
クイーンエリザベス2世ChCS
|
G1
|
芝9f(Fm)
|
10
|
1
|
1
|
4着
|
D. フローレス
|
121/55
|
|
(1馬身1/2)
|
Captive Miss
|
1993.04.08
|
サンタアニタ
|
アローワンス競走
|
|
芝8f(Fm)
|
8
|
1
|
1
|
3着
|
K. デザーモ
|
114/51.5
|
|
(クビ)
|
Gumpher
|
0000.05.02
|
ハリウッドパーク
|
ウィルシャーH
|
G2
|
芝8.5f(Fm)
|
7
|
2
|
2
|
1着
|
K. デザーモ
|
116/52.5
|
1:40.14
|
3/4馬身
|
(Visible Gold)
|
0000.05.30
|
ハリウッドパーク
|
ゲイムリーH
|
G1
|
芝9f(Fm)
|
9
|
8
|
1a
|
1着
|
K. デザーモ
|
116/52.5
|
1:45.07
|
1馬身
|
(Gold Fleece)
|
0000.07.04
|
ハリウッドパーク
|
アメリカンS
|
G2
|
芝8f(Fm)
|
6
|
4
|
1
|
1着
|
K. デザーモ
|
114/51.5
|
1:46.87
|
3/4馬身
|
(Man From Eldorado)
|
0000.10.06
|
サンタアニタ
|
オータムデイズH
|
L
|
芝6.5f(Fm)
|
6
|
6
|
1a
|
1着
|
K. デザーモ
|
122/55.5
|
1:14.32
|
1/2馬身
|
(Best Dress)
|
0000.10.24
|
サンタアニタ
|
アローワンス競走
|
|
芝8f(Fm)
|
5
|
1
|
1
|
2着
|
K. デザーモ
|
119/54
|
|
(2馬身1/4)
|
Acteur Francais
|
0000.11.06
|
サンタアニタ
|
ブリーダーズカップ・マイル
|
G1
|
芝8f(Fm)
|
13
|
9
|
8
|
4着
|
K. デザーモ
|
123/55.5
|
|
(4馬身)
|
Lure
|
0000.11.28
|
ハリウッドパーク
|
メートリアークS
|
G1
|
芝9f(Fm)
|
7
|
5
|
1
|
2着
|
G. スティーヴンス
|
123/55.5
|
|
(クビ)
|
Flawlessly
|
- 馬場状態: Fm=Firm, GF=Good to Firm, Gd=Good
引退後
1994年より生まれ故郷でもあるケンタッキー州のジュドモントファームで繁殖牝馬となり、産駒のうち、1995年産のチェスターハウス、1996年産のオネストレディ、1999年産のチセリングおよび2000年に出産したエンパイアメーカーの4頭がG1競走馬となり、他の産駒にも重賞馬のデカーチーも送り出して5頭の重賞勝ち馬の母となった。2003年には年度代表繁殖牝馬(ブルードメアオブザイヤー)を受賞した[4]。
2007年に蹄葉炎を患って繁殖生活から引退し[7]、2009年1月5日に健康状態が悪化したため安楽死の措置が取られた[2]。
産駒一覧
血統表
脚注
外部リンク