マーティン・プロウマン
マーティン・プロウマン (Martin Plowman, 1987年10月3日 - ) は、イギリスのレーシングドライバー。 経歴初期カートにおける数年間の成功した経歴の後、プロウマンはトヨタのヤングドライバープログラムと数年間の契約を結んだ。プロとしてのデビューは2006年のイタリア・フォーミュラ・ルノー、プレマ・パワーチームからであり、ルーキーイヤーはランキング5位であった。2007年はチームメイトのヘンキ・ワルドシュミットと共にランキング7位となる。チームにとってはシーズン前半1位2位をキープしていての結果で、期待外れのものであった。2008年はフォルクスワーゲンのジュニアドライバーとして、改組されたRCモータースポーツチームに配属、フォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦し14戦中前半7戦に出走したが、ポイントを得ることはできず最高位は17位であった。彼はまたシグネチャー・チームからマスターズF3に参戦、14位に入った。 インディ・ライツ2009年、プロウマンはパンサー・レーシングと契約しファイアストン・インディ・ライツに参戦した。参戦初年度のランキングは11位、トップ5完走は2回、トップ10完走は8回という成績であった。 2009年シーズン後、プロウマンはAFS-アンドレッティ・オートスポーツと契約、チャーリー・キンボールのチームメイトとして2010年シーズンに参戦することとなった。第9戦のミッドオハイオで彼はポールポジションを獲得、初勝利を挙げた。その後もシカゴランドでポールポジションを獲得するが、決勝では元チームメイトのピッパ・マンと接触、13位に終わる。シリーズランキングはキンボールの一つ上、3位で終えた。 インディカー・シリーズ2011年、プロウマンはサム・シュミット・モータースポーツよりインディカー・シリーズへのデビューを果たす。ミッドオハイオ、インフィニオン、ボルチモアの3戦に出場し、スノーボール・エクスプレスのロゴをまとった17番車を走らせた。スノーボール・エクスプレスは9・11以後に戦死した軍人の子供を支援するボランティア団体である[1][2] [3]。それぞれのレースでプロウマンは次第に予選順位を上げ、ボルチモアでは11位に入った。オフシーズンもスノーボール・エクスプレスへの関わりを続け、軍人の家族と会話をしたり、共に旅行したりした。 アメリカン・ル・マンシリーズ2012年2月24日、コンクエスト・エンデュランス・レーシングチームはプロウマン、デヴィッド・ハイネメイアー・ハンソン、フランチェスコ・ドラコーネをチームが新たに投入するLMP2のドライバーに採用すると発表した。モーガンのバッジを付けたジャッドエンジンを積んだマシンは、2012年3月17日に行われた第60回セブリング12時間レースでデビューした[4]。チームはドラコーネが12時間経過直前に体調不良でヤン・ヘイレンと交代したにもかかわらずALMS P2クラスで3位に入り、全体では44位であった[5]。4月10日、チームは北米日産とのパートナーシップを発表、ロングビーチ以降37番車に日産エンジンを搭載するとした[6]。プロウマンとハイネメイアー・ハンソンは7月22日のモスポート・グランプリでポールポジションとP2クラスでの初優勝を記録し、これはコンクエスト・エンデュランスにとっても初勝利であった。 記録フォーミュラ3・ユーロシリーズ(key)
アメリカン・オープンホイール(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ) インディ・ライツ
インディカー
アメリカン・ル・マンシリーズ
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
参照
外部リンク |