ホアキム・ソリア
ホアキム・アグスティン・ソリア・ラモス(Joakim Agustin Soria Ramos, 1984年5月18日 - )は、メキシコ合衆国コアウイラ州モンクローバ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとドジャース傘下時代2001年10月31日にロサンゼルス・ドジャースと契約。 2004年10月12日に自由契約となった。 メキシカンリーグ時代2005年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレー、またメキシコ・ウィンターリーグではオブレゴン・ヤキスでプレーした。 パドレス傘下時代2005年12月20日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。 2006年は傘下のA級フォートウェイン・ウィザーズとメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。オフの12月9日にはメキシコ・ウィンターリーグでエルモシーヨ・オレンジ・グローワーズ相手に完全試合を達成した。 ロイヤルズ時代2006年12月にルール・ファイブ・ドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、移籍した[1]。 2007年4月4日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たし、この年は62試合に登板して2勝3敗17セーブ、防御率2.48という成績を残した。 2008年は開幕からクローザーとして活躍。開幕から13試合連続セーブを記録し、アル・ラボスキーの持つ11連続セーブの球団記録を塗り替えた[2]。5月17日にはロイヤルズと総額875万ドルの3年契約(2012年・600万ドル、2013年・800万ドル、2014年・875万ドルの球団オプション付き)に合意[3][4]。7月にはオールスターにロイヤルズから唯一選出された。ロイヤルズのクローザーがオールスターに選出されたのは2003年のマイク・マクドゥーガル以来であった[2]。オールスターでは1回2/3を投げ、ダン・アグラとデビッド・ライトから三振を奪った[5][6]。最終的にこの年は63試合に登板して2勝3敗42セーブ、防御率1.60、66奪三振を記録した。 2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ代表に選出された。 2011年は60試合に登板して5勝5敗28セーブ、防御率4.03だった。オフの10月31日にロイヤルズが600万ドルの球団オプションを行使した[7]。 2012年4月4日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、2度目のトミー・ジョン手術を受けた[8]。5月3日に60日間の故障者リストへ異動し、シーズンを全休した。オフの10月31日にロイヤルズが残り2年の球団オプションを破棄し、FAとなった[9]。 レンジャーズ時代2012年12月4日にテキサス・レンジャーズと総額800万ドルの2年契約(2015年の球団オプション付き)に合意した[10][11]。 ![]() (2013年7月10日) 2013年3月31日に前年の手術の影響で、15日間の故障者リスト入りした[12]。6月9日に60日間の故障者リストへ異動した[13]。7月7日に復帰し[14]、26試合に登板。1勝0敗、防御率3.80、28奪三振を記録した。 2014年は開幕ロースター入りし[15]、35試合に登板。1勝3敗17セーブ、防御率2.70、42奪三振を記録した。 タイガース時代![]() (2014年10月2日) 2014年7月23日にコーリー・クネイブル、ジェイク・トンプソンとのトレードで、デトロイト・タイガースへ移籍した[16]。 パイレーツ時代2015年7月30日にジャコビー・ジョーンズとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[17][18]。オフの11月2日にFAとなった[19]。 ロイヤルズ復帰2015年12月10日に古巣ロイヤルズと3年契約(4年目は双方がオプション行使の権利を持つ)を結んだ[20]。 2016年は、2年連続70試合以上となる70試合丁度に登板し、通算500試合登板を超えた。自己ワーストの10本塁打を浴びて防御率4.05など、やや打ち込まれたが、5勝8敗1セーブ、奪三振率9.2という成績を残し、特に高い三振奪取能力は健在だった。 2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回WBC本戦のメキシコ代表に選出され、2大会ぶり2度目の選出となった。 シーズンでは登板数は59試合と前年から大きく減ったが、4勝3敗1セーブ、防御率3.70、奪三振率10.3と投球内容は改善された。 ホワイトソックス時代2018年1月4日にロイヤルズ、シカゴ・ホワイトソックス、ドジャース間の三角トレードで、ホワイトソックスへ移籍した[21]。ホワイトソックスでは7月までに抑えとして40試合に投げ、16セーブを挙げた。 ブルワーズ時代2018年7月26日にコディ・メデイロス、ウィルバー・ペレスとのトレードで、金銭と共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[22]。移籍後はセットアッパーとして26試合に投げたが、防御率4.09とやや成績を落とした。オフの10月30日にオプションを破棄し、FAとなった[23]。 アスレチックス時代2018年12月21日にオークランド・アスレチックスと2年契約を結んだ[24]。 2019年はマリナーズと東京で開催されたMLB日本開幕戦のメンバーとして訪日している。 ダイヤモンドバックス時代2021年2月6日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと350万ドルの単年契約を結んだ[26]。オプションとして最大50万ドルの出来高が含まれる。 ブルージェイズ時代2021年7月30日に後日発表選手とのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[27]。オフの11月10日に現役引退を表明した[28]。 引退後2025年のスプリングトレーニングでは古巣ロイヤルズのゲストコーチを務めた[29]。 投球スタイルオーバースローから投げられる、最速96.3mph(約155km/h)・平均92mph(約148km/h)の速球が全投球中の約7割を占めており、その他に平均85mph(137km/h)のチェンジアップ、平均80mph(約129km/h)のスライダー、平均71mph(約114km/h)のスローカーブを使用する[30]。 人物かつての愛称は"メクスキューショナー"("Mexicutioner", メキシコ(Mexico)の死刑執行人(Executioner))だったが、母国に悲観的なイメージを与えたくないとの理由から2011年2月よりこの愛称を使用しないでほしいと呼びかけている[31]。2018年のプレイヤーズ・ウィークエンドでは"ジュニオール"(""JUNIOR"")を[32]、2019年のプレイヤーズ・ウィークエンドでは"ぺぺ"("PEPE")を背ネームに使用した[33]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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