ベルカ公国ベルカ公国(ベルカこうこく、Principality of Belka)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス→バンダイナムコエンターテインメント)のPlayStation 2用フライトシューティングゲーム『エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー』および『エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー』に登場する架空の国家。モデルはその背景や地勢、言語、地名からドイツであると言われる。 概要ベルカは、エースコンバットシリーズのストレンジリアル世界に存在する国家のひとつである。『エースコンバット5』において、オーシア連邦とユークトバニア連邦共和国の超大国同士を戦争に陥れ、両国を裏で手引きする「灰色の男たち」の祖国として「ベルカ公国」という国号で登場する。『エースコンバット5』の前の時代を描いた『エースコンバットZERO』では主人公のサイファーが所属する連合軍の敵国として「ベルカ連邦」という国号で登場する。 北オーシア大陸の北東を領土としており、北は海に面する。時代によって大きく領土が変遷し、連邦構成国の独立も相まって国境を接する国も時代によって変化する。 歴史ベルカ発祥ベルカは現在で言う北ベルカを発祥の地とする。中世期のベルカでは帝国が確立しており、12世紀頃に建築されたシュティーア城は約400年に渡りベルカ選帝侯の居城であった。帝国の直轄地でもあり、皇帝の街としても知られていた[1]。ベルカ王朝は王侯貴族とベルカ騎士団からなる国家であり、騎士から貴族になる者もいた[2]。 長い歴史の流れの中でベルカはベルカ騎士団を軸とする軍事力や国力を強大化し、自国の拡大を図った。北ベルカの南部から西部を横断するバルトライヒ山脈を越え、後に南ベルカと呼ばれる地域を征服し自国領とした。 工業と空軍の発展ベルカは寒く土地は痩せ細っており、資源に乏しいため、金属加工や織物産業の家内制手工業によって成り立っていた。その後、ベルカが発展した一因としては産業革命による工業化が挙げられる。ベルカは20世紀初頭には工業化への道を歩み始めており、カメラや時計といった光学製品や精密機器の開発を得意とした。その延長線上として20世紀を通じてレーザーやセンサーといった電子機器類の製造技術は他国を凌駕するほどにまで成長していった。[3] 対外的にはオーシアとの間で軍拡と領土拡張を競うようになった。1905年からはオーシアとの間でオーシア戦争が勃発し、1910年まで戦争は続いた。オーシア戦争の最中にフランクリン・ゲルニッツ空軍特務大臣によってベルカ空軍が創設された。オーシア戦争は航空機が戦力になることを人類が初めて認識した戦争とされるが、戦争初期の時点における航空機は主に偵察任務に使われていた。ゲルニッツは航空機を爆撃任務に転用させたことで多大な戦果を上げ、世界各国が空軍を創設するきっかけにもなった。ゲルニッツが唱えた「空を制する者が地上を制す」という言葉は各国が航空機部隊を創設する際のスローガンになった。オーシア戦争で航空機は偵察に限らず爆撃においても戦果を上げるようになったが、ベルカ軍は対航空機用の航空機の開発も進めていた。後に戦闘機と称されるこうした機体はオーシア戦争には間に合わなかったものの、機動性と加速性に優れた機体を戦後に多数生み出すことになった。戦後のベルカ空軍はこうした戦闘機を用いた空対空戦闘を重視した。少数で多数の敵に打ち勝つというベルカ騎士道に由来するベルカ特有の思想や、高い技量を持ったパイロットの希少性と失った時の補填の難しさという現実的な理由によって、いかに死なず生還するかを重視した航空士養成思想が醸成され、それに基づいて空軍アカデミーの養成システムが整備されていった。アカデミーの生徒は細かい段階からなるカリキュラムを乗り越え、世界各国の空軍に加わって実戦を経験し、知識と実践的技術を得ることで高い練度を保った。[4] 発展と衰退ベルカは強大な軍事力や工業技術を有する国家として発展を遂げた。「伝統のベルカ空軍」とまで呼ばれたベルカ空軍は世界に名声を轟かせ、世界各国が空軍を編成する折にその規範となった。また、ベルカ製の兵器も諸外国製兵器と比較しても優れた質や性能を有しており、ベルカと友好関係にあったエストバキア連邦では1970年代よりベルカから兵器の購入を開始し、エストバキア軍で使われる兵器の多くはベルカ製となった[5]。 ベルカは拡張主義政策に基づいて周辺諸国への侵略と併合を繰り返し、軍事的圧力によって東方諸国を自国に併合していったが、1970年代には国境付近で民主主義を求め民族主義を掲げた紛争が多発していた[6][7]。そのひとつとして東方のレクタではレクタ解放戦線がベルカ空軍を苦しめていたが、最終的には拠点を構えるコールが陥落し鎮圧された。この頃からベルカは連邦制を採用し、ベルカ連邦を名乗るようになった[7]。こうした領土の拡大と軍事費の増大は次第にベルカの経済を蝕んでいくことになる。1980年代に入ると長年に渡る国土の拡大や、それに伴う軍事費の増大は次第に財政面の許容範囲を超え、経済を圧迫した。ベルカは経済恐慌に見舞われ、従来の方針を転換する必要性に迫られた。1987年にベルカは連邦法を改正し、東部諸国の政治権限を現地政府に移譲し駐留軍を本国へ帰還させた。これを受けて東部諸国に独立の機運が高まり、1988年2月8日にゲベートが独立し、同年5月12日に南東部のウスティオが独立した。[8] ベルカ戦争→詳細は「ベルカ戦争」を参照
ベルカの経済恐慌はなおも収まらず、ベルカ政府はオーシアと共同歩調を取り経済の再建を目指した。ベルカ政府はオーシアと共に五大湖資源開発公社を設立し、五大湖周辺の地下資源を調査させた。そして公社の調査によって五大湖周辺には相当量の地下資源の埋蔵が確認された。オーシアは資源配当量をベルカ優位にするとした上で、ベルカが領有する五大湖周辺と北方諸島の割譲を要求し、経済恐慌を乗り切るためベルカ政府は割譲を決定した。1991年8月16日、五大湖資源開発公社の採算割れ隠蔽工作が発覚したが、8月29日にベルカ政府は五大湖周辺や北方諸島をオーシアに割譲し、東部から南部にかけての領土をファト、ゲベート、ウスティオ、サピンに売却した[9]。 こうした政府の態度にベルカの世論は納得せず、1992年2月24日に選挙でベルカ民主自由党が単独過半数の議席を獲得し与党となった。1995年にウスティオで天然資源発見の報を受けて、同年3月25日にオーシアやウスティオなどの周辺諸国に対し侵攻を開始した。緒戦では割譲や売却によって失った領土を制圧し戦局を優位に進めていたが、オーシアを中心とする連合軍が結成され反撃を受けるとベルカは敗戦した。南ベルカはオーシアに割譲され、連邦制も解体された。 国境無き世界の参加者はベルカ人が中心を占めた。政治家や軍人からなる強硬派の一派である旧ラルド派の関与があったが、クーデターの鎮圧後に露見しヴァルデマー・ラルドが失脚した[10][11]。 戦後のベルカ南ベルカの割譲によりベルカは一転して小国となった。ベルカ軍は解体され、高い工業力も喪失した[4]。強硬派の一派である灰色の男たちは地下に潜伏し、南北ベルカの統一と戦勝国への復讐を目的としてオーシアやユークトバニアで工作活動を開始した。ラルドの失脚後、ベルカ空軍では第6航空師団長のブラウヴェルト中将が空軍の再編成に努めた。 灰色の男たちの工作により2010年にオーシアとユークトバニアの間で環太平洋戦争が勃発した。ベルカ人の関与が露見したことで両国は停戦し、戦争は終結した。 強硬派が起こした数々の陰謀劇や他国に高度な技術力を提供していることから、ベルカ人は陰謀家で混乱の源であると考える者も現れており、灯台戦争でのタイラー島の戦いではエルジア軍によってベルカ人やそれに関係すると考えられた人々が虐殺されるという事態が発生した。 その後の情勢2020年6月30日にオーシアが主催するベルカ戦争終結25周年記念式典に参加した。GAZE誌2020年7月10日号の表紙を飾ったレッドミル空軍基地でのエレファントウォークの写真では、写真の左側に5機のJAS-39が並んでいる。また、南ベルカ国営兵器産業廠ならびにその後身であるノース・オーシア・グランダーI.G.が開発したADFシリーズの機体も滑走路上を行進している[12][13]。 地理本項の地理は、ベルカ戦争開戦時(1995年3月25日)のベルカ連邦の版図を含む点に注意。 都市
施設
地域
ベルカの軍事ベルカ戦争以前航空機が戦力として認識されたとされるオーシア戦争(1905~1910年)の頃、空軍組織の基礎を築いた空軍特務大臣フランクリン・ゲルニッツの尽力により、世界でいち早く空軍を創設し、組織化を図る。以来、航空戦力に力を注ぎ、ベルカの高い工業力と優れた教育制度(空軍アカデミーの創設、教育カリキュラムの細分化など)や制空権の重視(空対空戦闘任務に力点を置いたため)などと相まって、「伝統のベルカ空軍」という異名を冠するほどの最強の空軍と化し、世界各国の空軍組織や航空技術における基幹ともなった。教育制度の中にはベルカ空軍とパイプを有する世界各国の空軍に空軍アカデミーの生徒を派遣し、戦場の空を飛ばせることで貴重な実戦経験を積ませて力強いパイロットへと鍛え上げるというものがある。これは、優れたパイロットの希少性を重視する事に伴う、いかに死なずに生きて帰還するかを重要視した航空士養成思想に基づく。保有戦闘機の機種も豊富でF-5のような旧式機からF-35のような最新鋭機まで運用されており、部隊編成においても1部隊に異なる機種が混在していたり、機体やパイロットの数も大規模から小規模までありとあらゆる部隊の編成が認められているという柔軟性を有する。だが、古きベルカ騎士道の考えによる「少数をもって多数の敵に勝つ」という少数精鋭主義の姿勢がベルカ戦争において影を落とすことになる。 ベルカ空軍は少数精鋭主義もあって、空軍単独で制空権確保や空爆を行う「戦術空軍」としては極めて優秀であり、優れた教育制度によって数々のエースパイロットを生み出していた。しかし、ベルカ戦争時の20世紀後半時点では既に各国空軍は陸海軍との統合運用化や、軍組織内での連携による効率化を重視した「戦略空軍」の編成に動いており、実際にオーシア空軍等にてその成果は出ていた。しかし、ベルカ空軍は戦術空軍としての基礎を早い段階で確立していた事が災いし、既存の古い思考に固執した結果戦術空軍から戦略空軍への組織改編がままならず、その限界をベルカ戦争において連合軍相手に晒すことになった。 海軍も航空戦力に力を入れているらしく、航空隊も編成されており、空母「ニヨルド」を保有していることが(アサルトレコードの文章内だけだが)確認できる。それ以外にもイージス艦など水上艦を多数保有している。陸軍は描写が少ないゆえ、実態は不明だが軍事大国ゆえにそれ相応の兵力を有していると思われる。なお、公式サイト掲載の外伝小説「ある兵士の記録」によると、少なくとも狙撃銃としてG3、また対装甲兵器ではRPG-7が配備されており、救援ヘリ部隊にはペイブホーク(劇中の描写から空軍所属の可能性もある)が配備されている模様。この他、ベルカがドイツをモデルとしている関係か、自走式対空砲としてゲパルトが本編劇中で登場している。 また、特筆すべきことにベルカ空軍将校アントン・カプチェンコが着手した国家防衛構想「ペンドラゴン計画」によって化学レーザー砲「エクスキャリバー」や大量報復兵器「V1」「V2」(さらに多くの開発計画があったが、1980年代の経済恐慌により、断念。その多くは設計図のみの構想段階であった)を開発、保有。それらはベルカ戦争で使用された。 ベルカ戦争後ベルカ戦争での敗戦により、ベルカの軍備は大幅に縮小される事になった。具体的な理由としては戦勝国より課せられた軍備の制限や軍事産業の縮小、南ベルカのオーシアへの割譲に伴う国力の低下や軍事拠点数の減少、ベルカに唯一残された北ベルカにおける戦災復興が挙げられる。 ベルカ空軍も戦後に実権を握った第6航空師団長のブラウヴェルト中将によって再建が図られたが、国力の低下やそれに伴う軍事予算の減少には抗えず、戦前の様に高価な軍用航空機を大量配備・大量稼動させるだけの余裕は無かった。このため、「昔ながらの強いベルカ」や「伝統のベルカ空軍」といったベルカの軍事力を称える異名の数々は、もはや過去の遺物と化した。 しかしベルカの軍備は、ベルカ戦争の開戦や自国内での核使用に関わり、戦後も敗戦や南ベルカ割譲という屈辱を認めず暗躍していた国粋派・強硬派の政治家や軍人の集団「灰色の男たち」によって、秘密裏に増強されていた。かつてベルカの軍備を支えた南ベルカ国営兵器産業廠は、南ベルカ割譲後にオーシアの兵器企業ノースオーシア・グランダーI.G.として改編されていたが、実際には表向きオーシアに恭順の立場を取りつつも「灰色の男たち」の秘密メンバーであったグランダー社社長の元で工作機関として暗躍し、戦勝国であるオーシアとユークトバニアとの間に戦争を起こすべく両国の好戦派の政治家や軍人層を煽り、戦争による両国の疲弊を加速すべくオーシアには堂々と兵器を納入し、ユークトバニアに対しては兵器を密輸していた。そして、その影で両国の目を盗み生産していた兵器群はベルカへと移送され、「灰色の男たち」指揮下の部隊に配備された。 このため、環太平洋戦争(ベルカ事変)時におけるベルカの軍備は、シュティーア城一帯やイエリング鉱山に大規模な地上部隊が展開し、空軍にはSu-47やYF-23、E-767といった高性能機が大量配備されているという、公式記録を逸脱した規模にまで膨れ上がっていた。 脚注出典
関連項目外部リンク
|