ブラッド・ウィルカーソン
ブラッド・ウィルカーソン(Stephen Bradley Wilkerson, 1977年6月1日 - )はMLBの元外野手兼一塁手。左投左打。アメリカ合衆国ケンタッキー州オーエンズボロ出身。 経歴1998年、ドラフト1巡目でモントリオール・エクスポズから指名を受けプロ入り。 2000年のシドニーオリンピックに野球アメリカ合衆国代表として出場し、金メダルを獲得した。 2年間の下積み生活を経て、2001年に同球団でメジャーデビューを果たした。そして、メジャー2年目の2002年には早くもレギュラーに定着。いきなり20本塁打を放って、その素質をアピールした。 2004年に30本塁打と100四球をクリアし、典型的な長距離砲という認識を受けるようになる[要出典]。同年オフには日米野球にも参加した。 2005年は、4月こそ打率.323と出だし好調であったが、その後は不振に陥ってしまった。特に前年の32本塁打から11本塁打と大幅に本数を減らしてしまうなど、ほとんどの打撃部門で昨季を下回った。 2006年にはテキサス・レンジャーズへと移籍し、チームの主軸に成長することを期待された。しかし、右肩の故障の影響もあってか思うような成績は残せず、8月上旬に故障個所の手術のために今シーズンを終えた。 2008年に、同年オフにFAとなったホセ・ギーエンの後釜の右翼手を求めていたシアトル・マリナーズへFA移籍。同年オフに若手有望株のアダム・ジョーンズがエリック・ベダードとのトレードで放出されたこともあり、正右翼手候補として期待された。しかし19試合で打率.232本塁打0打点5と結果を残せず、4月30日にジェフ・クレメント、ウラディミール・バレンティンという若手有望株2選手の昇格に伴い戦力外となり、5月9日にトロント・ブルージェイズへ移籍した。 シーズン終了後にフリーエージェントになり、2009年2月16日にボストン・レッドソックスとキャンプ招待選手としてマイナー契約を結ぶが[1]、4月19日に現役を引退したことが明らかになった[2]。 現役引退後2023年1月30日にニューヨーク・ヤンキースの打撃コーチ補佐に就任した[3]。 選手としての特徴ボールを見極める打撃スタイルで、四球と三振がどちらも多い。2002年から2005年にかけての4シーズン、連続で80四球以上を選び、特に2004年はナ・リーグ7位の106四球を記録。一方で同期間は、三振でも全てリーグワースト5位以内にランクインしている。また、パワーがあって30本塁打以上を記録した事もあり、特に打者に有利な球場では35本塁打以上も期待出来るとされていた[4]。また、フライ比率が高く、2005年には約4割がフライであった[4]。 左右別では左投手の方がやや得意としており、対右打率が.243に対して対左打率は.262である[5]。 守備面では、外野すべてとファーストを守れるため、攻・守ともに重宝する選手である。 エクスポズ (ナショナルズ) 時代、チームが上手く起用すれば大成する事が期待出来る一方、上手く起用出来ないと駄目になる可能性があるとされていた[6]。結果的に、前述のように評価されていた時期に30本塁打・100得点・100四球等を記録した2004年をピークに以後、打率が.250・本塁打が25を超える事がなくなり、後者の結果となってしまった。 詳細情報年度別打撃成績 (MLB)
背番号
代表歴脚注
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