オーエンズボロ
オーエンズボロ(英: Owensboro)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州の都市。デイビース郡の郡庁所在地である。人口は6万0183人(2020年)。アメリカ国道60号線沿いにインディアナ州エバンズビルから南東に約51 kmに位置し、オーエンズボロ都市圏の主要都市である。市の名前はエイブラハム・オーエン大佐に因んで名付けられた。イリノイ州、インディアナ州およびケンタッキー州で作る3州地域ではエバンズビルに次いで第2位の大きさである。 歴史人類学研究に拠れば、この地域の先住民文化は12,000年前まで遡ることができ、18世紀末にショーニー族インディアンの最後の者がこの地域を明け渡すよう強いられた時まで続いた。伝説では、ケンタッキーは概して「暗く血塗られた土地」だった。インディアンは狩猟場としては満足していたが進んで定着はしなかったという民間信仰からでてきた神話である。南北戦争(1861年-1865年)では、オーエンズボロが北部と南部への忠誠で分裂した。北軍に就いて戦ったが、心情的には南部側だった。南北戦争でオーエンズボロが唯一有名になった機会は、終戦後の1865年8月、ジョンソンのパルティザン・レンジャーズで士官だったジャック・ベネット大尉がテネシー州から南軍ゲリラ部隊を率いてこの町を襲ったことだった。ベネット隊の兵士はオーエンズボロに騎り入れ、地元銀行を襲おうとして成功せず、第108有色人歩兵連隊から13人の北軍兵を捕まえて処刑し、その遺体を補給用ボートの上で焼いた後にテネシー州に戻った。6日間で総延長300マイル (480 km) を馬で踏破したことになった。 オーエンズボロは1790年代に開拓者ウィリアム・"ビル"・スメザーズが入植しており、彼に因んで川に面した公園が名付けられている。ケンタッキー州歴史標識第744号はこの公園に彼の栄誉を称えて建立された。この開拓地はオハイオ川の岸の色を暗示するイエロー・バンクスと呼ばれた。1817年、イエロー・バンクスはエイブラハム・オーエン大佐に因んだオーエンズボロ(Owensborough)という名前で市として編入された。オーエン郡も彼の名前に因むものである。1893年に綴りを今の形(Owensboro)に変えた。 1887年にフレデリック・A・エイムズがペンシルベニア州ワシントンからオーエンズボロに来た。エイムズは馬車を修理するキャレッジ・ウッドストック会社を始めた。1910年にはエイムズというブランド名で自動車の量産を始めた。エイムズは1912年に実業家ビンセント・ベンディックスを雇い、この会社はエイムズ自動車会社になった。 その商品はテキサス州のカーディラーから「1500ドルでは最良の」車と言われたが、1915年には自社モデルの生産を止めた。その後売れ行きの良かったフォード・モデルTの交換用車体の製造を始めた。1922年に再度会社を建て直し、エイムズ・コーポレーションの名前で家具の製造を始めた。最後は1970年にホワイトオール・ファニチャーに身売りした[2]。 1936年8月14日、オーエンズボロ中心街はアメリカ合衆国でも最後の公開処刑の場所となった。レイニー・ベシーが70歳のリスチャ・エドワーズを強姦し殺害した罪で処刑された。 1937年、ローマ教皇ピウス11世がローマ・カトリック教会オーエンズボロ教区を設立し、ケンタッキー州西部の3分の1を教区に含めた。そこは32郡、面積は約12,500平方マイル (32,000 km2) ある[3]。 第二次世界大戦の終わりに土木工事事業が起こされ、オーエンズボロは眠っているような工業町から1960年代に移るときまでに現代的な拡大する地域社会に変わった。その多くは土木コンサルタント会社であるジョンソン・デップ・アンド・クイゼンベリーによって起こされ、その後郡空港滑走路を再設計した。デップはケンタッキーの古く大きな家庭の一員に過ぎなかったが、そこから1960年代に俳優のジョニー・デップが生まれ、さらに有名なものとしてケンタッキー・フライド・チキンの設立者カーネル・サンダースの本拠になった。 1961年、オーエンズボロにあるゼネラル・エレクトリック工場の技師たちがコンパクトロンと呼ばれる真空管を発明した。 地理オーエンズボロは北緯37度45分28秒 西経87度7分6秒 / 北緯37.75778度 西経87.11833度に位置し、オハイオ川の屈曲部にある。アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は18.7平方マイル (48.3 km2)、このうち陸地は17.4平方マイル (45.1 km2)、水面は1.2平方マイル (3.2 km2)で水域率は6.59%である。 ブルーグラスの州ケンタッキーで、オハイオ川の南岸が蛇行して南に5マイル (8 km) 以上伸びた所に、拡がる鋼の町オーエンズボロがある。ミズーリ州で第2の都市セントルイスは北西200マイル (320 km) にあり、120マイル (190 km) 南にはカントリーミュージックの故郷テネシー州メンフィスがある。オハイオ川の北岸はインディアナ州であり、東はバージニア州で、ケンタッキー州は当初その一部だった。 人口動態
以下は2007年の人口統計データである。
都市圏2007年統計に拠れば、オーエンズボロ都市圏はデイビス、ハンコックおよびマクリーンの各郡を含んでいる。 法と政府オーエンズボロは1954年以降シティ・マネジャー方式を採っている。市民は市長1人と4人の市政委員を選出し、この5人が市政委員会を形成する。市政委員会は市の立法を担当し、市民の利益を代表している。市政委員会が日々市を運営するシティマネジャーを雇用している。 市長は4年任期である。各市政委員は2年ごとに選出される。シティマネジャーの任期は定義されておらず、その功績しだいである。 教育オーエンズボロ公立教育学区、デイビス郡公立教育学区およびカトリック教会オーエンズボロ教区が、オーエンズボロとその周辺の幼稚園生から12年生までの教育を監督している。 オーエンズボロにはブレシア大学とケンタッキー・ウェスレヤン・カレッジの4年制大学2校と、公立のコミュニティ・カレッジであるオーエンズボロ・コミュニティ工科カレッジがある。ドローゴンズ・ジュニアカレッジとデイマー・カレッジのキャンパスもあり、西ケンタッキー大学は広大なキャンパスを保有している。 2006年にルイビル大学によってオーエンズボロ医療健康システムの一部であるミッチェル記念がんセンターに研究センターを設ける計画が発表された。ここではタバコからガルダシルと呼ぶヒト・パピローマ(乳頭腫)ウイルス・ワクチンを初めて作る研究が行われる。ルイビル大学の研究者アルバート・ベネット・ジェンソン博士とシン・ジェ・ギム博士がこのワクチンを発見した。成功すれば、オーエンズボロでワクチンが製造されることになる。 交通アメリカ国道60号線と同431号線がオーエンズボロ中心街を走っている。アメリカ国道231号線と同60号線バイパスがオーエンズボロを取り囲むベルトウェイを形成している。ケンタッキー州道81号線、56号線、331号線、298号線、54号線および144号線も市内を走っている。 オーエンズボロ・デイビス郡地域空港はエバンズビル地域空港と共に地域商業空港として機能している。 1884年に設立されたオーエンズボロ・ワゴン会社は国内でも最大かつ影響力ある箱馬車会社だった。8種類のスタイルとサイズの馬車があり、20世紀への変わり目まで標準的品質を設定していた。 文化メディアオーエンズボロで購読される日刊紙はパデューカのパクストン・メディアグループが所有する「メッセンジャー・インクワイア」紙である[5]。 ラジオ局としては、WBIO (FM)、WOMI (AM)、WVJS (AM)、WBKR (FM)およびエバンズビルから放送する多くの放送局がある。WSTO (FM)はオーエンズボロで免許を取得しているが、エバンズビルを本拠地にしている。 市内にはテレビ局が無いが、ニールセン・メディア・リサーチに拠ると全米第100位の大きさであるエバンズビル・テレビ市場の一部である。しかし、2007年初期、WFIE-TVがオーエンズボロに支局を開局して、上記市場のうちケンタッキー州西部の郡部をカバーしている。地元テレビ局の多くはエバンズビル、ヘンダーソンとオーエンズボロを顧客にするものが多い。 行事
見どころ
著名な出身者政界
スポーツ
エンターテイナー
著作家とジャーナリスト
その他
姉妹都市オーエンズボロは2都市と姉妹都市を結んでいる。 脚注
外部リンク
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