ブラジルの鉄道ブラジルの鉄道の起源は1850年代に遡る。同国では長い間、さまざまな民間の鉄道会社により鉄道が運営されていた。1957年にそれらの多くがブラジル連邦鉄道(Rede Ferroviária Federal, Sociedade Anônima)として国有化されたが、自動車交通の発展に伴い収益が悪化し、1980年代から2000年代にかけてこのブラジル連邦鉄道は解体され、アメリカ・ラティーナ・ロジスティカ、サンパウロ都市圏鉄道会社、SuperViaなど様々な民間及び公営会社による運営となっている。 軌間ブラジル国内の鉄道には4種類の軌間が存在する。
かつて、オエステ・デ・ミナス鉄道によって軌間752mmの鉄道が敷設されたが、うち12 kmが保存鉄道として残されている 都市間サービス→詳細は「en:Railway stations in Brazil」を参照
都市鉄道・地下鉄・近郊鉄道
市街鉄道ブラジルの市街鉄道は1859年から1989年まで運転されてきた。動力源として、蒸気機関、馬、電気が使用されてきた。1980年代と1990年代にライトレールがリオデジャネイロとカンピナスに導入されたが、成功には至らなかった[1]クリチバでは、ライトレールの代わりにバス高速輸送(BRT)を導入した[2]。 沿革ブラジルは世界で5番目に大きい国であり、100路線の市街電車が存在していた。これは、他のラテンアメリカ諸国のものをすべて合わせた数と同じくらいであった。リオデジャネイロでは、1859年、フランスを除くすべての欧州諸国に先行して市街電車の実験を行った。それは、世界初の市街電車の一つであった。リオデジャネイロの市街電車は、その後130年以上運営され、今日まで現役である。ブラジルでは、初めて蒸気動力による市街鉄道が開始され、路面で運転するために特別設計された蒸気機関車が運行されていた。また、リオデジャネイロでは、世界初の電気による市街鉄道の運行が、ロンドン、パリ、ローマ、マドリード、リスボン、ラテンアメリカの他のどの都市よりも前に開始された。ニテロイは初めて蓄電池による市街電車の運行が成功した場所である。ブラジルは、アメリカ大陸ではアメリカ合衆国に次ぐ路面電車のコレクションがあり、世界最大の外資系路面鉄道が存在していた。 1989年時点でのブラジルの市街電車は、リオデジャネイロのサンタテレサ線とコルコバード線、サンパウロのカンポス・ド・ジョルドン線、ベルチオガのイタチンガ路線、カンピーナスの観光トラムの5路線が存続していた[3]。 現在運転中の保存トラム:
今後の展開高速鉄道→詳細は「ブラジル高速鉄道」を参照
2008年9月、ブラジルの交通省は、ワールドカップのためのサンパウロ、リオデジャネイロ、カンピナスを接続する高速鉄道プロジェクトを発表した。これは、150億ドルの費用がかかるだろう。これらの路線は、標準軌1,435 mm (4 ft 8+1⁄2 in)で敷設する予定である。 新規の貨物線の敷設農産物輸送のためにマラカジュからカスカヴェウを経由してパラナグアへ向かう新路線(軌間:1,000 mm (3 ft 3+3⁄8 in) )の建設が提案されている[10]。 標準軌への改軌1,600 mm (5 ft 3 in) (アイルランドゲージ)軌間の路線を1,435 mm (4 ft 8+1⁄2 in) 標準軌に変換することが提案されている[11]。 近郊国との鉄道連絡
パラグアイ、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナとの鉄道による接続はなし。 沿革鉄道事業体連邦鉄道成立以前の主な鉄道事業者
ソロカバナ鉄道(EFS)
国有化後
機関車
脚注
関連項目外部リンクウィキメディア・コモンズには、ブラジルの鉄道に関するカテゴリがあります。 |