フローレンス・ローレンス
フローレンス・ローレンス(英語: Florence Lawrence, 1886年1月2日 - 1938年12月28日)は、カナダ出身のアメリカ合衆国の女優である[1]。本名フローレンス・アニー・ブリッジウッド(英語: Florence Annie Bridgwood)[1]。 人物・来歴1886年1月2日、カナダのオンタリオ州ハミルトンに生まれる[1]。 1906年、ヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)が製作、J・スチュアート・ブラックトンが監督・主演した短篇映画 The Automobile Thieves に出演したのが、もっとも古い出演記録である[1]。同社の量産する短篇映画に出演した後、1908年、アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ(バイオグラフ・スタジオ)に移籍する[1]。同年8月30日、満22歳のとき、13歳年上で、当時まだ俳優であったのちの映画監督ハリー・ソルターと結婚する[1]。1909年に夫ソルターが監督業に進出してからは、夫の作品に多く主演する[1]。 1912年、夫とともに独立し、ニュージャージー州フォートリーにヴィクター・スタジオを設立、夫が量産する短篇映画に妻を主演する[1]。翌1913年には夫妻は同社をカール・レムリに売却し、レムリが数社を結集して設立した新会社・ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に夫ともども入社、引き続きヴィクター・スタジオで夫の量産する監督作に主演する[1]。1916年には、同年にユニヴァーサルが設立した子会社・ブルーバード映画で、スチュアート・ペイトン監督の Elusive Isabel に主演する[1]が、多くの作品が日本で公開されたブルーバード映画のなかでも、公開されなかった数少ない作品のひとつとなる[2]。1918年以降、一旦、映画界を退く[1]。 1920年3月2日、満34歳のとき、夫ソルターと死別する。1921年5月21日、チャールズ・ブライン・ウッドリングと再婚する[1]。1922年から映画界に復帰するが、主演作は少ない[1]。だんだん端役の出演となっていった1926年には、再び映画界を退く[1]。 1932年にウッドリングと離婚、1933年(昭和8年)11月27日、満47歳でヘンリー・ボルトンと三度目の結婚をするが、翌1934年3月に離婚している[1]。このころトーキーとなった映画界に復帰するがほとんどが端役、ノンクレジットで、1936年の『ハリウッド大通り』での小さな出演シーンも、編集でカットされた[1]。 1938年12月28日、カリフォルニア州ロサンゼルス郡ウェスト・ハリウッドで服毒自殺した[1]。満52歳没。ロサンゼルス市ハリウッドにあるハリウッド・フォーエヴァー墓地に眠る[3]。 おもなフィルモグラフィすべて出演作である[1]。250本以上の出演作のある1913年以前の作品は、主なもののみに留めた[1]。 1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
発明ローレンスは1914年、現代の尾灯やハイマウントストップランプの前身にあたる「機械式ブレーキ信号」と、現代の方向指示器の前身である「自動信号アーム」を設計し、発明したことで有名である。 前者はフットブレーキを踏むと自動的にSTOPというサインが跳ね上がって表示されるもので、後者はフェンダーの後ろ側に設置し、ボタンを押すと電気信号が伝わって旗の付いたアームを上下させる仕組みだった。 ただ、これらの発明の特許を取得していなかったため、どちらの発明に対しても信用や利益は得られなかった[4]。 関連事項
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