スチュアート・ペイトン
スチュアート・ペイトン(Stuart Paton, 1883年7月23日 - 1944年12月16日)は、スコットランド出身のアメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである[1]。サイレント映画『海底六万哩』(1916年)の監督として知られる[2]。 人物・来歴1883年(明治16年)7月23日、スコットランド・グラスゴーに生まれる[1]。 カール・レムリがニューヨークに創立し、カリフォルニア州ロサンゼルス市に移転した後に1912年(明治45年)にユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)の傘下となったインディペンデント・ムーヴィング・ピクチャーズで、1914年(大正3年)、フランク・ホール・クレインが監督した短篇映画 Out of the Far East に脚本を提供、出演したのが記録に残る最初の映画界での仕事である[1]。翌1915年(大正4年)には、ウィリアム・ウェルチ主演の A Gentleman of Art で監督業に進出した[1]。同年以降は監督業に専念し、1916年(大正5年)、同社が設立した子会社・ブルーバード映画で、フローレンス・ローレンス主演の Elusive Isabel 等を計2作を監督したが[1]、日本では2作とも公開されなかった[3]。同年、ジュール・ヴェルヌの小説を原作とした『海底六万哩』を監督する[1]。 ユニヴァーサルを1928年(昭和3年)の監督作 The Hound of Silver Creek を最後に退社、1931年(昭和6年)、ハリー・ウェッブ・プロダクションズを率いるハリー・S・ウェッブを共同監督として、 The Mystery Trooper を監督して、トーキーを初めて演出した[1]。 1937年(昭和12年)、病気のため映画界を去る[2]。1944年(昭和19年)12月16日、ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した[1][2]。満61歳没。同市内のパインズ・クレマトリー会堂に眠る[2]。 おもなフィルモグラフィ特筆以外は監督作である[1]。
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