フレイミング・パイ
『フレイミング・パイ』(Flaming Pie)は、1997年に発表されたポール・マッカートニーのアルバムである。 背景収録曲の「ビューティフル・ナイト」は当初、1986年にフィル・ラモーンのプロデュースによってレコーディングが行われたものの、マッカートニーの意向によりお蔵入りとなり、本作で改めてレコーディングが行われた[1]。因みに「カリコ・スカイズ」と「グレイト・デイ」は1992年のセッション時に既にレコーディングが終了していた[2]。 プロデュースはエレクトリック・ライト・オーケストラのリーダー及びボーカルで、ジョージ・ハリスンの『クラウド・ナイン』やビートルズの25年ぶりの新曲として発表された「フリー・アズ・ア・バード」、「リアル・ラヴ」のレコーディング及びプロデューサーとして参加したジェフ・リンが担当。前述の通り、一部の曲は1992年頃にレコーディングされたが、殆どの収録曲が1995年から1996年にかけてレコーディングされている。 1990年代の半ばからおよそ4年間、マッカートニーはビートルズの歴史を追ったドキュメンタリー『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の制作に携わることとなった[3]。しかし、EMIはこの4年間、マッカートニーがソロ・アルバムを発売することを望まなかったという。 マッカートニーは1996年10月の雑誌『Q (雑誌)』のインタビューにて、「今、新しいアルバムを作ってるんだけど、アンソロジーのせいで1997年までリリースされないんだ。僕にとっては好都合だよ。屁理屈をこねずに音楽を作る事だけを楽しんでるんだ。自分の期限を守って仕事をしてる。ビートルズ時代の仲間であるリンゴと仕事をする事もあるんだ。また一緒になって、彼が来て一緒にドラムを叩いてくれたんだ...気持ちよかったね」と語っている[4]。 前作はツアーのサポートメンバーがレコーディングに参加していたものの、本作は基本的にマッカートニーとリンの2人による多重録音がベースとなっている。一部の楽曲にはスティーヴ・ミラーやリンゴ・スター、息子のジェイムズ・マッカートニーが参加、また、ジョージ・マーティンによるストリングス・アレンジが施されている。また、1995年11月に乳癌が発覚、当時闘病中だった妻のリンダ・マッカートニーも一部楽曲にコーラスとして参加。 リリースとレセプション1997年5月5日に全世界で発売された本作は、発売と同時に批評家から大いに評価され、1982年に発売されたアルバム『タッグ・オブ・ウォー』以来となる最高の評価を獲得。イギリスでは5月のチャートで2位にランクイン、1989年のアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』以来8年ぶりとなるチャート入りを果たしたものの、スパイス・ガールズのデビュー・アルバム「スパイス」に首位を奪われる結果となった[5] 。 アメリカでは『タッグ・オブ・ウォー』以来のトップ10アルバムとしてチャートにランクインした[6] 。 この作品は全米と全英のチャートで高順位を記録しただけでなく、両国共でゴールドディスクに認定されている。また、ビートルズ解散以降のマッカートニーの作品として非常に高い評価を受け、翌年の第40回グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされた。 さらにニールセン・サウンドスキャンによると、2007年6月までに本作は世界中で150万枚以上を売り上げたとされている[7]。 アルバムの発売を記念し、マッカートニーは同年5月にインターネットにてオンライン・チャット・パーティーを開催した。当時はまだ珍しかったこの試みには300万件あまりのアクセスが殺到し、「一度に最も多くの人が参加したオンライン・チャットルームのイベント」として当時のギネス世界記録に認定されている[8] 。 2016年6月に全世界同時発売されたオールタイムベストアルバム『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』には、このアルバムからの楽曲が最も多く収録されている。 また、2020年7月31日、2020年最新のリマスタリングを施した収録曲とデモ音源、未公開映像などが収録された『ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション』として、5CD/2DVD/4LPのコレクターズ・エディションと、5CD/2DVDのデラックス・エディション、3LP、2LP、 2CD版が再発された。 アルバム・タイトルアルバム・タイトルは、1961年にジョン・レノンが雑誌『マージービート』内で、「男が燃え盛るパイ(フレイミング・パイ)に乗って登場して、今日からお前はAの綴りのビートルズだ」と言ったという冗談を基にしている[9]。 収録曲
※15.は2007年、iTunes Store販売版のボーナス・トラック。(シングル・カップリング曲) クレジット
脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia