ザ・ロスト・ペパーランド・アルバム
『ザ・ロスト・ペパーランド・アルバム』とは、1987年に発売予定であったポール・マッカートニーの未発表アルバムである。プロデューサーはフィル・ラモーン[2]。 時系列的には『プレス・トゥ・プレイ』と『Снова в СССР』の間に位置する。 なお、この「ザ・ロスト・ペパーランド・アルバム」という名称はあくまで通称であり、「Return to Pepperland」とされることもある。 セッションの成り立ちこのアルバムは、ザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の20周年を受けて制作されたとされ、収録予定曲であった「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(リメイクバージョン)や、「リターン・トゥ・ペパーランド」、「P.S.ラヴ・ミー・ドゥ」「アトランティック・オーシャン」などにビートルズへのオマージュが含まれている。 ポールがこのセッションのプロデューサーであるフィル・ラモーンと出会ったきっかけは、1986年8月に録音された「ラヴリエスト・シング」のプロデュースをラモーンが請け負った事であった。その仕事に感銘を受けたポールは、翌年のセッションに、ラモーンをプロデューサーとして招き入れた。セッションはホッグ・ヒル・スタジオで行われた。 未発表である理由多くの楽曲が録音され、アルバムの曲順を決める段階まで進んだのにも関わらず、このアルバム及び収録予定曲はお蔵入りとなった[注釈 1]。その理由として、トニー・クラーク著の「Paul McCartney Recording Sessions」には、「楽曲に対するポールとラモーンの意見が食い違い、最終的にラモーンがスタジオを出て行った」と書かれている。 また、エンジニアのスティーヴ・レオンは、ポールとラモーンの関係についてこう語った。 「ポールがラモーンとうまくいくとは思わない。音楽的な討論が繰り広げられたり、ちょっと居心地の悪い雰囲気が流れていた。そして、ラモーンは出て行った。ポールが求めていたサウンドは違ったんだ。ラモーン、彼はビリー・ジョエルのプロデュースで大成功をおさめたが、まさにそのサウンドが曲の演奏にあった。電子音楽や、打ち込み[注釈 2]なんかじゃなかった。二人は新しい何かを見つけようとしてつまずいてしまったんだ・・・僕らが打ち込みを使おうとすると、ラモーンが難癖を付けてきたりとね。」 「バンド[注釈 3]が居た頃は、それは素晴らしかった。楽しいことも沢山あった。それがポールとラモーン、ジョン[注釈 4]、そして僕だけになった途端、空気が変わったんだ。」 収録予定曲とその末路このアルバムのために、未発表曲を合わせて15曲が用意された。なお、「ラヴリエスト・シング」と「スクイッド」の2曲は、アルバムのセッション外にて録音された。 以下に、収録予定であった曲を、公式発表順に記述する。 1987年 シングル「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」収録当時お蔵入りにされずに発表されたのはこの2曲のみ。ワンス・アポン・ア・ロング・アゴーはベストアルバム「オール・ザ・ベスト」の英国版にも収録。 1989年 アルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」収録オリジナルの録音とは大幅に曲構成が変わっている。 1989年 シングル「フィギュア・オブ・エイト」収録
後に「フラワーズ・イン・ザ・ダート スペシャルパッケージ」のディスク2、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」の1993年の再発盤のボーナストラックに収録された。 1990年 3月9日の日本公演で披露
後に「フラワーズ・イン・ザ・ダート スペシャルパッケージ」のディスク2に収録された。また、ライヴバージョンがシングル「バースデイ」に収録された。 1991年 アルバム「リヴァプール・オラトリオ」収録
収録曲である「教会堂地下室」に、曲の旋律が転用された形で収録された。また、2015年にポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクションの「パイプス・オブ・ピース」に収録。 1997年 ラジオ「Oobu Joobu」内で発表
オリジナルとは別ミックス
インストゥルメンタルナンバーである。ポールのセルフプロデュース。
曲の一部は1970年前半には完成していた[注釈 6]。 1997年 アルバム「フレイミング・パイ」収録ドラムスはリンゴ・スターが担当[2]。なお、リンゴが歌っているパートは、1997年のセッションで新たに付け加えられた。 1997年 シングル「ビューティフル・ナイト」収録
現在未発表の曲
以上2曲は未発表ではあるが、非常に完成度が高い。
リンダ・マッカートニーがボーカルをとっている。
歌詞は「My big day」という一節を繰り返すだけの、実験的なパンク。 このセッションが収録された海賊盤
脚注注釈出典
参考文献Paul McCartney Recording Sessions (1969〜2013) 外部リンク |