フランシス・カニンガム (第2代カニンガム侯爵)第2代カニンガム侯爵フランシス・ナサニエル・カニンガム(英: Francis Nathaniel Conyngham, 2nd Marquess Conyngham, KP, GCH, PC、1797年6月11日 - 1876年7月17日)は、イギリスの政治家・貴族。 経歴アイルランド貴族の初代カニンガム子爵ヘンリー・カニンガム(後にカニンガム侯爵に叙せられる)の次男としてアイルランド・ダブリンに生まれる[2]。母はその妻エリザベス(旧姓デニソン)。兄にヘンリー(父に先立つ)、弟に後にロンデスバラ男爵に叙されるアルバート・デニソンがいる[3]。 イートン・カレッジを卒業[2]。1818年6月から1820年12月までウェストベリー選挙区から、1825年2月から1831年5月まではドニゴール選挙区から選出されて庶民院議員を務める[4]。 トーリー党政権下で衣服長官(在職1820年-1830年)、外務政務次官(在職1823年-1826年)、下級大蔵卿(Lord of the Treasury)(在職1826年-1830年)などの役職を歴任した[2]。 1832年12月28日に父が死去し、カニンガム侯爵位を継承した。継承した爵位の中には連合王国貴族爵位ミンスター男爵位もあったため、貴族院議員に列した。 その後ホイッグ党の第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラムの政権に参加し、郵政長官(在職1834年、1835年)や宮内長官(在職1835年-1839年)を務めた[2]。 1835年5月には枢密顧問官(PC)に列する[5]。 宮内長官在職中の1837年6月20日午前2時20分、ウィリアム4世が崩御した。早朝カンタベリー大主教ウィリアム・ハウリとともにヴィクトリア女王のいるケンジントン宮殿に入り、彼女の引見を受けた。カニンガム卿は新女王に「国王陛下が崩御されました。女王陛下万歳!」と叫び、彼女の前に跪いてその手にキスをして忠誠を捧げた[6]。 1869年から1876年にかけてはミース知事を務めた[2]。1876年7月17日にロンドン・ハミルトン・プレイスで死去した[2]。 栄典爵位
勲章家族1824年に初代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット元帥の娘ジェーンと結婚。彼女との間に以下の2男4女を儲ける[2]。
脚注出典
参考文献
外部リンク
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