『バニティ・フェア 』1881年1月1日号におけるカリカチュア 、レスリー・ウォード 画。
第3代カニンガム侯爵 ジョージ・ヘンリー・カニンガム (George Henry Conyngham, 3rd Marquess Conyngham 、1825年 2月3日 – 1882年 6月2日 )は、イギリス の貴族。アイルランドとイングランドで合計166,710エーカー (674.7 km2 )を所有した大地主だった[ 1] 。
生涯
第2代カニンガム侯爵フランシス・カニンガム と妻ジェーン(1798年10月13日 – 1876年1月28日、初代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット の娘)の息子として、1825年2月3日に生まれ、ピカデリー のセント・ジェームズ教会 (英語版 ) で洗礼を受けた[ 2] 。イートン・カレッジ で教育を受けた[ 1] 。
1844年12月31日にコルネット (英語版 ) (騎兵少尉)への辞令を購入して、イギリス陸軍 の第2竜騎兵連隊 に入隊[ 3] 、1848年4月28日にライフ・ガーズ第1連隊 (英語版 ) に転じた[ 4] 。1850年10月19日に中尉[ 5] 、1854年8月4日に大尉[ 6] 、1861年8月24日に中佐(Major and Lieutenant-Colonel )[ 7] 、1866年8月24日に大佐に昇進した[ 8] 。1868年6月13日に半給 となった[ 9] 。正規軍のほか民兵隊でも役職を持ち、1859年4月20日に大尉としてロイヤル・イースト・ケント・ヨーマンリー連隊 (英語版 ) 配属されたのち[ 10] 、1862年6月24日に少佐[ 11] 、1863年2月2日に中佐(副隊長および指揮官)に昇進した[ 12] 。
1870年10月16日にヴィクトリア女王 のエクェリー (英語版 ) (侍従)に任命され[ 13] 、1872年10月1日に辞任し、代わりに定員外の侍従となった[ 14] 。1876年7月17日に父が死去すると、カニンガム侯爵 位を継承[ 2] 、1877年7月2日にミンスター男爵 として貴族院 議員に就任した[ 15] 。政治では自由党 に属し、父と同じくアルスター海軍次官 (英語版 ) を務めた[ 2] 。
1877年10月1日に少将に昇進[ 16] 、1881年10月1日に中将への名誉昇進辞令 (英語版 ) を得たうえで陸軍から引退した[ 17] 。この名誉昇進辞令は同年のうちに1881年7月1日付に変更された[ 18] 。
1882年時点でアイルランドではドニゴール県 に122,300エーカー 、クレア県 に27,613エーカー、ミーズ県 に7,060エーカーの領地を所有し、イングランドではケント 州に9,737エーカーの領地を所有した大地主であり、合計で166,710エーカー(年収50,076ポンド 相当)だった[ 1] 。
1882年6月2日にベルグレイヴィア のベルグレイヴ・スクエア (英語版 ) で死去、ケント 州パトリックスボーン (英語版 ) で埋葬された[ 2] 。長男ヘンリー・フランシス が爵位を継承した[ 2] 。
家族
1854年6月17日、ジェーン・サンモール・ブランシュ・スタンホープ(Jane St. Maur Blanche Stanhope 、1833年5月14日 – 1907年11月28日、第4代ハリントン伯爵チャールズ・スタンホープ (英語版 ) の娘)と結婚[ 2] 、2男5女をもうけた[ 19] 。
ブランシュ(1856年4月20日[ 19] – 1946年4月13日[ 20] )
ヘンリー・フランシス (1857年10月1日 – 1897年8月28日) - 第4代カニンガム侯爵[ 2]
コンスタンス・オーガスタ(1859年10月14日[ 19] – 1941年6月14日) - 1881年10月20日、リチャード・コム(Richard Combe )と結婚[ 20]
ジェーン・シーモア(1860年12月17日[ 19] – 1941年10月30日) - 1883年7月26日、クリスチャン・コム(Christian Combe )と結婚[ 20]
エリザベス・モード(1862年7月16日[ 19] – 1949年5月27日) - 1887年7月30日、フレデリック・ウィリアム・ラムズデン(Frederick William Ramsden 、1864年2月17日 – 1928年12月26日)と結婚[ 20]
フローレンス(1866年9月16日[ 19] – 1946年1月28日) - 1887年4月30日、バートラム・フランクランド・フランクランド=ラッセル=アストリー(Bertram Frankland Frankland-Russell-Astley 、1904年2月11日没)と結婚、子供あり。1905年6月17日、クロード・ヒースコート=ドラモンド=ウィロビー閣下 (英語版 ) (1872年10月15日 – 1950年2月24日、初代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィロビー (英語版 ) の三男)と再婚[ 20]
チャールズ・アーサー(1871年2月1日 – 1929年3月7日) - 1899年、レナ・バーバラ・モーガン(Lena Barbara Morgan 、1902年2月24日没、ルイス・リチャード・モーガンの娘)と結婚。1910年8月6日、アニー・ブルワー・モーガン(Annie Brewer Morgan 、1955年4月14日没、ダニエル・モーガンの娘、アンドルー・ウィルソン・ハンターの未亡人)と再婚[ 20]
出典
^ a b c Bateman, John (1883). The Great Landowners of Great Britain and Ireland (英語) (4th ed.). London: Harrison. p. 103.
^ a b c d e f g Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 414.
^ "No. 20428" . The London Gazette (英語). 31 December 1844. p. 5353.
^ "No. 20850" . The London Gazette (英語). 28 April 1848. p. 1656.
^ "No. 21154" . The London Gazette (英語). 15 November 1850. p. 2994.
^ "No. 21578" . The London Gazette (英語). 4 August 1854. p. 2390.
^ "No. 22548" . The London Gazette (英語). 17 September 1861. p. 3746.
^ "No. 23162" . The London Gazette (英語). 14 September 1866. p. 5031.
^ "No. 23389" . The London Gazette (英語). 12 June 1868. p. 3302.
^ "No. 22255" . The London Gazette (英語). 26 April 1859. p. 1728.
^ "No. 22638" . The London Gazette (英語). 27 June 1862. p. 3265.
^ "No. 22705" . The London Gazette (英語). 6 February 1863. p. 646.
^ "No. 23669" . The London Gazette (英語). 18 October 1870. p. 4507.
^ "No. 23904" . The London Gazette (英語). 1 October 1872. p. 4559.
^ "Minutes" . Parliamentary Debates (Hansard) (英語). Vol. 235. Parliament of the United Kingdom: House of Lords. 2 July 1877. col. 590.
^ "No. 24508" . The London Gazette (英語). 2 October 1877. p. 5461.
^ "No. 25021" . The London Gazette (英語). 30 September 1881. p. 4895.
^ "No. 25042" . The London Gazette (英語). 29 November 1881. p. 6215.
^ a b c d e f Lodge, Edmund , ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 171.
^ a b c d e f Mosley, Charles , ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 879. ISBN 978-0-97119662-9 。
外部リンク