エドマンド・ロッジエドマンド・ロッジ(英語: Edmund Lodge KH FSA、1756年6月13日 – 1839年1月16日)は、イギリスの紋章官、系譜学者。紋章学に関する著作と短編の伝記を著している。一方でよく知られる『ロッジ貴族名鑑』には名前を貸しているだけであり、実際にはイネス姉妹の著作である[1]。 生涯聖職者エドマンド・ロッジ(Edmund Lodge、1729年ごろ – 1781年)と妻メアリー(リチャード・ガラードの娘)の息子として、1756年6月13日にロンドンのポーランド・ストリートで生まれた[2]。1771年11月29日に騎兵少尉として第3(国王所有)竜騎兵連隊に配属され[1]、1772年1月に官報で掲載された[3]。しかし陸軍は肌に合わなかったらしく、1772年10月11日に辞任[2]、11月に官報で掲載された[4]。 1782年2月22日にブルーマントル紋章官補に就任、以降1793年10月29日にランカスター紋章官、1822年6月11日にノロイ統括紋章官、1838年7月30日にクラレンス統括紋章官に昇進した[1]。1787年3月15日、ロンドン考古協会フェローに選出された[5]。1832年にロイヤル・ゲルフ勲章ナイトを授与された[1][6]。 1808年4月27日、ジェーン・アン・エリザベス・フィールド(Jane Anne Elizabeth Field、1820年5月没、マイケル・フィールド海尉の娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1][2]。1839年1月16日にブルームズベリー・スクエア2号の自宅で死去、24日にブルームズベリーのセント・ジョージ教会に埋葬された[2]。遺産は姉妹にあたるメアリー・シャーロット・ロッジが相続、うち蔵書は同年3月11日に競売を経て361ポンド4シリング6ペニーで売却された[2]。 著述
この2つの著作はそれぞれハンス・ホルバインの作品とイギリス史の人物の肖像画に、ロッジが書く人物略歴を付した著作である[2]。ウォルター・スコットは1828年にこれらの作品を賞賛した[2]。
系譜学の著作。それ以外では系図作成を安価で請け負ったり、アン・イネス、イライザ・イネス、マリア・イネス3姉妹が1827年から1829年にかけて著したAnnual Peerageに名義を貸したり(イネス3姉妹が著したが、3姉妹の名前は記載せず、代わりにロッジの名前が著者として記載された)した[2]。この著作は版が重なるうちに『ロッジ貴族名鑑』(Lodge's Peerage)として知られるようになり、ロッジとイネス3姉妹の没後も20世紀初まで同じ名前で出版された[1]。 ほかにもIllustrations of British History, Biography and Manners in the reigns of Henry VIII., Edward VI., Mary, Elizabeth and James I(1791年初版、1838年第2版、全3巻)、Life of Sir Julius Caesar(1810年初版、1827年第2版、全2巻)といくつかの書評を出している[1][2]。このように多作だったが、遅筆であることと締め切りを破ることで知られた[2]。 出典
外部リンク
|