第2代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット(英: Henry Paget, 2nd Marquess of Anglesey,PC DL、1797年7月6日 – 1869年2月)は、イギリスの貴族、廷臣、ホイッグ党の政治家。ヴィクトリア朝初期の1839年から1841年にかけて宮内長官(英語版)を務めた。
生涯
軍人ヘンリー・パジェット(のち初代アングルシー侯爵・陸軍元帥)と妻キャロライン・ヴィリアーズ(英語版)との息子として生まれた[1]。異母弟にクラレンス・パジェット卿(英語版)、アルフレッド・パジェット卿(英語版)、ジョージ・パジェット卿(英語版)がいる[1]。
1820年にアングルシー選挙区(英語版)から出馬して当選、以降は1832年までホイッグ所属の庶民院議員として議席を占めた[2]。懸案のカトリック解放法案については反対であり、解放反対から容認に転じたウェリントン首相やサー・ロバート・ピール内相を批判した。しかしピールの方も「(態度の変化があったのはあなたの父親の)アングルシー侯爵も同じではないか」と切り返し、パジェットが慌てて父を擁護するなどの応酬があった[3]。パジェットは最後まで法案に反対したが[3]、4月13日には1829年ローマ・カトリック信徒救済法が成立した。
1833年6月15日、いまだ父が存命ながら、繰上勅書によりパジェット男爵位を継承して貴族院に列した[2]。1837年、侍従たる議員(英語版)に選ばれ、1839年まで同職にあった[1]。同年、宮内長官(英語版)と枢密顧問官に就任し[4]、1841年まで長官職を務めた[1][3]。廷臣時代の評判は良くなく、女王ヴィクトリアは彼を『品のない人』とみなしていたとされ、宮中でも愛人を囲っているとの噂もあったという[3]。
1854年、父が死去するとアングルシー侯爵を継承した。
1869年、自邸のあるボーディザート(英語版)で急死した[5]。長男ヘンリーが侯爵位を継承した[1][2]。
人物
熱心なスポーツマンで、射撃、狩猟、競馬、クリケットに情熱を注いだほか、道徳的には父と似通っていたとされる[5]。
家族
1819年にエレノア・キャンベル(Eleanora Campbell 、1828年没、ジョン・キャンベル(英語版)の娘)と結婚、一男二女をもうけた[1]。
1833年にヘンリエッタ・バゴット(サー・チャールズ・バゴット(英語版)の娘)と再婚した。
- ヘンリー・パジェット(1835年 - 1898年) - 第4代アングルシー侯爵
- アレクサンダー・バゴット(1839年 - 1896年)- 1880年にヘスター・ステイプルトン=コットンと結婚、子あり。
- バークリー・パジェット(1844年 - 1913年)- 1877年にフロレンス・チェットウィンドと結婚。
- フローレンス・パジェット(1842年 - 1907年) - 1864年にヘンリー・チャップリンと婚約するも、直後に第4代ヘイスティングズ侯爵と駆け落ち[6]。その後、サー・ジョージ・チェットウィンド(英語版)と再婚[6]。
脚注
註釈
出典
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Anglesey, Marquess of (UK, 1815)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2022年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月3日閲覧。
- ^ a b c “Mr Henry Paget (Hansard)”. api.parliament.uk. 2022年5月3日閲覧。
- ^ a b c d Escott, Margaret (1964). "PAGET, Henry, earl of Uxbridge (1797-1869).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年5月21日閲覧。
- ^ "No. 19737". The London Gazette (英語). 28 May 1839. p. 1069.
- ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 138–140.
- ^ a b バーネット, アラステア、ネリガン, ティム 著、千葉隆章 訳『ダービーの歴史ーその世界最高の競馬を語る』財団法人競馬国際交流協会、東京都港区、1998年、38頁。
外部リンク