フェリックス・ドゥブロン
フェリックス・アントニオ・ドゥブロン(Félix Antonio Doubront , 1987年10月23日 - )は、ベネズエラ・カラボボ州プエルト・カベージョ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は、メキシカンリーグのユカタン・ライオンズ所属。 CPBLでの登録名は「飛利士」。 経歴プロ入りとレッドソックス時代2005年にボストン・レッドソックスに入団。 2010年6月18日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。初先発初勝利を記録する。 2012年はアーロン・クック、アルフレド・アセベスとの争いを制して開幕ローテーション入りを果たした[1]。前半戦は好調で、7月18日のホワイトソックス戦でシーズン10勝目を挙げた。その後は勝ち星が伸び悩み、規定投球回数にも僅かに届かなかったが、投球回数を上回る奪三振数を記録するなどメジャーでも先発として十分に通用することを示した。 2013年から背番号61から22に変更となった。この年のスプリングトレーニングから左肩の疲労感を訴える。 2014年3月7日にレッドソックスと1年契約に合意した[2]。開幕後は17試合に登板し、2勝4敗・防御率6.07だった。5月には駐車場で車のドアに左肩をぶつけ負傷する。 カブス時代2014年7月30日に後日発表選手(マルコ・ヘルナンデス)とのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[3]。8月1日に左脹脛の故障で、15日間の故障者リスト入りした[4]。 2015年1月16日に球団と年俸調停を回避し、1年契約192万5000ドルで契約を結んだ[5] が、3月28日に自由契約となった[6]。 ブルージェイズ時代2015年4月2日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[7]。7月3日にメジャー契約を結んだ[8]。5試合(うち先発が4試合)に登板し、1勝1敗・防御率4.76という成績を残し、59.1回で10被本塁打と自己ワーストの被本塁打率を記録した。7月29日にDFAとなった[9]。 アスレチックス時代![]() 2015年7月31日に金銭トレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[10]。移籍後は先発で8試合、リリーフで3試合の計11試合に投げた。だが調子を落とし、防御率5.81という芳しくない数字に終わった。ブルージェイズとの通算成績は、16試合の登板(うち12試合が先発登板)で防御率5.50・3勝3敗1セーブ・75.1イニングで56奪三振という内容でだった。 2016年は4月にトミー・ジョン手術を受けたため[11]、全休した。オフの10月7日に40人枠から外れる形でAAA級ナッシュビル・サウンズへ配属及びFAとなった。11月14日にアスレチックスとマイナー契約で再契約。 2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。同年もアスレチックス傘下のAAA級ナッシュビルに所属し、11月6日にFAとなった。 ジャイアンツ時代2017年12月14日にKBOリーグのロッテ・ジャイアンツと契約した。 2018年は6勝を記録したが、9月12日にウェーバー公示され退団した。 メキシカンリーグ時代2019年はメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約した。開幕から5試合の登板で24失点を喫し、5月2日にFAとなる。5月14日にサルティーヨ・サラペメーカーズと契約。オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12のベネズエラ代表に選出された。 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響でシーズン中止となったため[12]、公式戦の出場は無かった[6]。 統一ライオンズ時代2020年12月25日、CPBLの統一ライオンズと契約した[13]。2021年は14試合に登板し7勝3敗、防御率3.42を記録した。オフに外国人枠の関係で退団した。 メキシカンリーグ時代2023年はユカタン・ライオンズでプレーした[16]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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