『フェア・エム』(Fair Em, the Miller's Daughter of Manchester)は、1590年頃に書かれたエリザベス朝時代の戯曲。チャールズ2世の蔵書の中にあった『Shakespeare. Vol. I』というラベルをつけられた巻の中に『ミュセドーラス』『エドモントンの陽気な悪魔』と一緒に綴じられていた。しかし、研究者たちのほとんどはこの戯曲の作者をウィリアム・シェイクスピアとすることに反対している。
Q2(第二の四折版):1631年出版。印刷はジョン・ライト。作者名はない。両方の版のフル・タイトルは『A Pleasant Comedie of Faire Em, the Millers Daughter of Manchester. WIth the love of William the Conqueror(マンチェスターの粉屋の娘、美しい(正直な)エムの愉快な喜劇とウィリアム1世の恋)』。
作者
エドワード・フィリップスはその著書『Theatrum Poetarum』(1675年)の中で、『フェア・エム』の作者はロバート・グリーンだと書いた。しかし、グリーンはこの劇の作者を嘲笑し、1591年に『Farewell to Folly』というパンフレットの中で最終場面の2行をパロディにしているので、この説はありえそうにない。しかし、確かに『フェア・エム』とグリーンの戯曲『Friar Bacon and Friar Bungay(修道士ベーコンと修道士バンゲイ)』は関連性がある。『フェア・エム』の作者はどうもグリーンのものから借用しているようである。グリーンの劇が書かれたのは1589年頃と言われていて、そうなると『フェア・エム』は、1589年からパンフレットが出版された1591年の間に書かれたことになる。この期間は前述したLord Strange's Menの活動時期とも符合する[1]。
現代の研究者たちは、ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)説、あるいはアンソニー・マンデイ(Anthony Munday)説に傾いている[2]。マンデイの場合は、その戯曲『John a Kent and John a Cumber(ケント人ジョンとカンブリア人ジョン)』との類似性が理由である。ちょっと後の劇になるが、ジョン・デイ(John Day)の『The Blind Beggar of Bednal Green(Bednal Greenの盲目の物乞い)』(1600年)も『フェア・エム』とかなり似ている。
材源
筋は伝承から取られている。『フェア・エム』の副題『The Miller's Daughter of Manchester』と同じ題名のバラッドが1581年3月2日に書籍出版業組合の記録に登録されている[3]。
Chambers, E. K. The Elizabethan Stage. 4 Volumes, Oxford, Clarendon Press, 1923.
Logan, Terence P., and Denzell S. Smith, eds. The Predecessors of Shakespeare: A Survey and Bibliography of Recent Studies in English Renaissance Drama. Lincoln, NE, University of Nebraska Press, 1973.
Halliday, F. E. A Shakespeare Companion 1564–1964. Baltimore, Penguin, 1964.
Tucker Brooke, C F., ed. The Shakespeare Apocrypha. Oxford, Clarendon Press, 1908.