フィリップ・センデロス
フィリップ・シルヴァン・センデロス(Philippe Sylvain Senderos, 1985年2月14日 - )は、スイス・ジュネーヴ出身の同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。 経歴クラブ2003年夏にセルヴェットFCからアーセナルFCへ移籍[1]。同クラブではソル・キャンベルの後継者と呼ばれていた。 2008-09シーズンはイタリアのACミランに買取オプション付きの期限付き移籍し[2]、背番号24を身に着けリーグ戦15試合に出場した。 2010年1月23日、エヴァートンFCに出場機会を求めて期限付き移籍[3]。6月9日、フラムFCへ3年契約で移籍した[4]。レギュラー候補として期待が高まっていたが、開幕前の8月にアキレス腱を断裂[5]。6か月間の戦線離脱となり最終的に3試合の出場に止まった。 2014年1月31日、父親の祖国スペインのバレンシアCFにフリー移籍した[6]。6月5日にはアストン・ヴィラFCが獲得を発表[7]。 2016年1月29日、スイス・スーパーリーグのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに移籍[8]。シーズン終了に伴いグラスホッパーズを退団した。 2016年8月31日、スコティッシュ・プレミアシップのレンジャーズFCに加入。以前よりトレーニングに参加していたクラブと1年契約を締結した[9]。 2017年8月7日、MLSのヒューストン・ダイナモに加入することが発表された[10]。2018年シーズン終了を以てBBVAコンパス・スタジアムを去った。 2019年1月以降は無所属が続いたが、9月10日にスイス・チャレンジリーグのFCキアッソと1年契約を締結[11]。12月に現役引退を表明した[12]。 2020年8月、プロデビューを飾ったセルヴェットに帰還しスポーティングディレクターに就任した[13]。 代表U-17スイス代表では2002年のUEFA U-17欧州選手権にキャプテンとして参加し、トランクイロ・バルネッタらと共にスイスのゴールデンエイジと呼ばれる世代の一人としてチームの優勝に貢献した[1]。 2005年3月26日のフランス戦でA代表デビューとなる[14]。2006年6月23日に行われた、2006 FIFAワールドカップの韓国戦でハカン・ヤキンのフリーキックから崔眞喆と激突しながらも先制のヘディングシュートを決めた。その際に鼻付近から流血しプレーを続けたが、その後肩を脱臼しピッチから退いた[15]。 2014年6月20日に行われた、ブラジルワールドカップのフランス戦では、オリヴィエ・ジルーと接触し負傷したスティーヴ・フォン・ベルゲンと交代して前半9分からプレーした[16]。 人物スペイン人の父(フリアン・センデロス)とセルビア人の母(ゾリツァ・ノヴコヴィッチ)を持つ[17]。 2009年7月20日にイラン系イギリス人のサラと結婚[18]。2012年にはイスラム教シーア派へ改宗した[19]。 英語、フランス語、セルビア語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ペルシア語に堪能なマルチリンガルである[20][21]。 2023年4月24日にFIFA(国際サッカー連盟)が主催する『FIFA Diploma in Club Management』のために来日していた。プログラムの一環でいくつかのクラブを訪れ、その中でセレッソ大阪も訪問。ティム・ケーヒルと共にセレッソ大阪サッカースクールの小学校低学年を対象とした長居校の月曜日コースに飛び入りで参加した[22]。 個人成績
代表歴出場大会試合数
タイトル
脚注
外部リンク
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