ステファン・リヒトシュタイナー
ステファン・リヒトシュタイナー(Stephan Lichtsteiner, 1984年1月16日 - )は、スイス・アドリゲンスヴィル出身の元サッカー選手。元スイス代表。ポジションはDF(右サイドバック)。 経歴クラブグラスホッパー・クラブ・チューリッヒにてプロサッカー選手としてデビューし、シーズン2年目にはリーグ優勝を果たす。また、グラスホッパー在籍中にはクレディ・スイスという世界的なユニバーサルバンクの徒弟制度に参加、銀行員としての道もあったがサッカー選手として生きることを選んだ。 2005年7月1日にフランスのLOSCリールに移籍金65万ユーロで加入。クロード・ピュエル監督の指導の下で、サイドバックとしてだけでなくサイドハーフとしてもプレーするようになった。3年間所属したリールではリーグ戦89試合に出場し、5得点を記録した。 2008年7月16日にイタリアのSSラツィオへ120万ユーロで移籍した[要出典]。初年度からローマダービーで1得点を記録するなど活躍を見せコッパ・イタリアで優勝、スーペルコッパ・イタリアではインテル相手に2-1で勝利し2つのタイトルを獲得する。ラツィオではクラブ生え抜きのロレンツォ・デ・シルヴェストリとポジションを争い、33試合に出場。デ・シルヴェストリをACFフィオレンティーナ移籍へと追いやった。その後も不動の右サイドバックとして君臨し、通算100試合に出場して3得点を挙げた。 2011年7月1日、ユヴェントスFCに1000万ユーロで移籍。4年契約を締結した[1]。2015年1月13日にはユヴェントスと2年間の契約延長をしている[2]。2015年9月23日、セリエA第5節フロジノーネ戦に先発出場するも、呼吸困難を起こしハーフタイムで交代。検査の結果、良性心臓不整脈と診断され、心臓の手術を行った[3]。2015年11月4日、UEFAチャンピオンズリーグGLのボルシアMG戦で復帰し、同点弾を決めた。2016-17シーズンは、チームがダニエウ・アウヴェスを獲得したため、シーズン当初はチャンピオンズリーグの登録メンバーから外れたが[4]、決勝トーナメントでは登録メンバーに復帰。 2017年2月ユベントスとの契約を2018年まで延長した[5]。ユヴェントスでは7年間プレーし、7度のスクデット獲得と4度のコッパ・イタリア制覇を経験した。 2018年6月5日、アーセナルFCに移籍することが発表された[6]。ユヴェントスFCと契約満了のため、フリーでの移籍となり、合わせて背番号は12番に決まったことも発表された。10月のEFLカップのブラックプール戦でゴールを決めたが、リーグ戦は14試合の出場に留まり、シーズン終盤に僅か1シーズンでアーセナルを退団すると自身のインスタグラムで発表した。 2020年8月12日、現役引退を表明した[8]。 代表U-21代表として2004年のUEFA U-21欧州選手権などに出場した後、2005年にスイス代表に初招集。2006年11月11日のブラジルとの親善試合で代表デビューを飾った。 母国開催(オーストリアとの共催)となったEURO2008にも3試合出場。しかし、スイスは1勝2敗でグループリーグ敗退となった。2010 FIFAワールドカップの代表メンバーにも選出されて3試合に出場したが、1勝1敗1分でまたしてもグループリーグ敗退に終わった。 2011年10月11日のEURO2012予選のモンテネグロ戦で代表初得点を挙げた。 2014 FIFAワールドカップに出場。 UEFA EURO 2016ではギョクハン・インレルが代表を外れた為、キャプテンとしてプレー。グループステージを勝ち上がるが、ラウンド16でポーランドにPK戦の末敗れた。 2018 FIFAワールドカップでもキャプテンとして出場し、累積警告で出場停止となったスウェーデン戦以外の全試合に出場。スイス代表はラウンド16でスウェーデン戦で敗れた。 個人成績
代表歴出場大会試合数
タイトルクラブ
脚注
関連項目外部リンク
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