ラファーエル・ヴィッキー
ラファーエル・ヴィッキー(Raphaël Wicky、1977年4月26日 - )は、スイス・ロイッガーン出身の元同国代表サッカー選手。2022年よりBSCヤングボーイズの監督を務める。 プロデビューをしたFCシオンでは1995年から1997年とスイス・カップ3連覇を果たし、自身の評価を高めた。1997年から在籍したブレーメンでは、1998年にクラブのサポーターが選出する年間最優秀選手賞を受賞し、同年にスイスサッカー協会が選ぶスイス年間最優秀選手賞も受賞した。 来歴クラブ16歳でFCシオンのトップチームデビューを果たすと、1997年に自身初の海外挑戦となるヴェルダー・ブレーメンへと移籍した。ブレーメンでは1998-99シーズンにDFBポカールを獲得し、チームに貴重なタイトルをもたらした。2000年に当時セグンダ・ディビシオン(2部)に在籍していたアトレティコ・マドリードへと移籍したものの、スペインの環境に馴染めず1年で退団した。 2001年の冬、ヴィッキーはドイツのハンブルガーSVへと移籍をした。加入当初は安定した出場機会を得ていたが、2005年から度重なる怪我によりベンチを温める時間が増えた。それでもUEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップにはほぼ毎試合起用された。2007年にシオンに移籍するまで2つのタイトル、DFLリーガポカールを獲得した。 その後はプロデビューをしたクラブのシオンに戻り、現役最後のクラブとして2008年に加入したクラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAで15年に渡る現役生活を終えた。 代表17歳でA代表に招集されて以降定期的に招集され、UEFA EURO '96やUEFA EURO 2004、2006 FIFAワールドカップに参加した。 指導者2009年にマルティン・シュミット監督の下でFCトゥーンのU21コーチに就任し、翌年からセルヴェットFCのユースを指導。2013年から2017年までFCバーゼルのユースやU21チームを指導し2017年にトップチームの監督に就任した。格下相手に敗北するなど不安定な成績を残し、それまでバーゼルはリーグ8連覇を記録していたが、リーグ優勝をBSCヤングボーイズに奪われてしまった。2018-19シーズンも引き続き監督を務めるも、第1節のFCザンクト・ガレンに敗れ解任された。 2019年からアメリカ合衆国代表のU-17チームを指揮。2019 FIFA U-17ワールドカップ本大会ではグループリーグで敗退した。 2020年1月にメジャーリーグサッカーに属するシカゴ・ファイアーFCの監督に就任した。 2022年6月2日、母国BSCヤングボーイズの監督に招聘され、2年契約を結んだ[1]。 代表歴出場大会試合数
監督成績
獲得タイトル選手時代
脚注
外部リンク
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