ビリー・マッキニー (野球)
ウィリアム・ランディス・マッキニー(William Landis McKinney, 1994年8月23日 - )は、 アメリカ合衆国テキサス州プレイノ出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。MLBのテキサス・レンジャーズ傘下所属。 経歴プロ入りとアスレチックス傘下時代2013年のMLBドラフト1巡目(全体24位)でオークランド・アスレチックスから指名されプロ入り。契約後、傘下のルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスでプロデビュー。A-級バーモント・レイクモンスターズでもプレーし、2球団合計で55試合に出場して打率.326、3本塁打、26打点、8盗塁を記録した。 2014年はA+級ストックトン・ポーツでプレーした。 カブス傘下時代2014年7月6日にジェフ・サマージャ、ジェイソン・ハメルとのトレードで、ダン・ストレイリー、アディソン・ラッセルと共にシカゴ・カブスへ移籍した[1]。移籍後は傘下のA級デイトナ・カブスに配属され、移籍前を含めた2球団合計で126試合に出場して打率.264、11本塁打、69打点、6盗塁を記録した。 2015年はA+級マートルビーチ・ペリカンズ[2]とAA級テネシー・スモーキーズでプレーし、2球団合計で106試合に出場して打率.300、7本塁打、64打点を記録した。 2016年はAA級テネシーでプレーした。 ヤンキース時代2016年7月25日にアロルディス・チャップマンとのトレードで、アダム・ウォーレン、グレイバー・トーレス、ラシャド・クロフォードと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[3]。移籍後は傘下のAA級トレントン・サンダーでプレーし、移籍前を含めた2球団合計で123試合に出場して打率.246、4本塁打、44打点、4盗塁を記録した。 2017年はAA級トレントンとAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレーし、2球団合計で124試合に出場して打率.277、16本塁打、64打点、2盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。11月20日にはルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[4]。 2018年は開幕をAAA級スクラントンで迎えたが、3月30日に故障者リスト入りしたアーロン・ヒックスに代わってメジャー初昇格を果たした[5]。メジャーデビューとなった同日のトロント・ブルージェイズ戦では「7番・左翼手」で先発出場すると、2回表の初打席でアーロン・サンチェスから初安打を放った(この試合は4打数1安打)[6]。だが、翌日の同カードでの守備中、フェンスにあるデジタルスコアボードに左肩を強打して痛めたため、4月1日に故障者リスト入りした[7]。 ブルージェイズ時代2018年7月26日にJ.A.ハップとのトレードで、ブランドン・ドルーリーと共にブルージェイズへ移籍した[8]。 ブルワーズ時代2020年9月14日にウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[10]。 メッツ時代2021年5月25日にペドロ・キンタナとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[12]。7月16日にDFAとなった[13]。 ドジャース時代2021年7月21日にカルロス・リンコンとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[14]。オフの11月19日にDFAとなった[15]。 アスレチックス時代2021年11月22日に金銭トレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した[16]が、30日にノンテンダーFAとなった[17]。 その後、2022年3月16日にアスレチックスとマイナー契約を結んだ[18]。4月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[19]。5月9日にDFAとなり[20]、11日に傘下のAAA級ラスベガス・アビエイターズへ配属された[21]。その後、9月15日に7日間のDL入り[21]し、30日に復帰した[21]。オフの11月10日にノンテンダーFAとなった[21]。 ヤンキース復帰2022年12月31日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[22]。2023年6月7日に負傷者リストに入ったアーロン・ジャッジの代替としてアクティブ・ロースター入りした[23]。オフの11月6日にカルロス・ナルバエスの昇格に伴い、フランチー・コルデロ・ドミンゴ・ヘルマンらと共に一度はFAとなるも[24]、12月9日にアンソニー・ミセビッチと共にマイナー再契約を結んだ[25]。 パイレーツ時代2023年12月15日に金銭トレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[26]。(その日のうちにAAA級インディアナポリス・インディアンズに配属)。 2024年は開幕前のスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、開幕はマイナーで迎えた[21]。8月19日にメジャー昇格を果たした[27]。昇格後は10試合で打率.200と苦しみ、9月6日にジョーイ・バートの復帰に伴いDFAとなり、2日後にAAA級インディアナポリスに降格[28]。レギュラーシーズン終了後の10月1日にFAとなった[29]。 メッツ傘下時代2025年3月21日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだものの[30]、メジャーに昇格する機会が無いまま5月18日に自由契約となった[31]。 レンジャーズ傘下時代2025年5月27日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同日に同じく加入したアラン・トレホと共にAAA級ラウンドロック・エクスプレスに配属された[32]。 詳細情報年度別打撃成績
ポストシーズン打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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