ダン・ストレイリー
ダニエル・スティーブン・ストレイリー(Daniel Steven Straily, 1988年12月1日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナディーノ郡レッドランズ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのシカゴ・カブス傘下所属。 愛称は赤髪であるがゆえに、スペイン語で赤を意味するロホ(Rojo)[1]。 経歴プロ入り前ストレイリーは生まれはレッドランズだが育ちはオレゴン州ペンドルトンであり、その町のリトルリーグで野球を始める。 高校時代は彼は最初の二年間はペンドルトン高等学校でプレーし、その後スプリングフィールドのサーストン高等学校へ転校。そして、西オレゴン大学に進学し、その野球チームでプレーした後にマーシャル大学へ転校した。 アスレチックス時代2009年のMLBドラフト24巡目(全体723位)でオークランド・アスレチックスからで指名を受け、プロ入り。 最初に所属したA-級バンクーバー・カナディアンズでは11試合に先発し59イニングで5勝3敗、防御率4.12、66奪三振を記録した。 2010年はA級ケーンカウンティ・クーガーズに昇格し、28試合に先発して148イニングで10勝7敗、防御率4.32、149奪三振を記録した。 2011年はA+級ストックトン・ポーツに昇格し、26試合に先発して160.2イニングで11勝9敗、防御率3.87、154奪三振を記録した。 2012年はAA級ミッドランド・ロックハウンズに昇格。14試合で85.1イニングで3勝4敗、防御率3.38、108奪三振を記録し、シーズン途中でAAA級サクラメント・リバーキャッツに昇格。53イニングで5勝2敗、防御率1.36、67奪三振、被打率.149と驚異的な数字を残す。そして8月2日にメジャーに昇格し、翌3日のトロント・ブルージェイズ戦にメジャー初先発。6回を投げ5奪三振、1四球、自責点1と好投して先発ローテーションに加わった。 2013年は先発ローテーションに定着して10勝を挙げた。 2014年は開幕ロースター入りし、7試合に登板して1勝2敗、防御率4.93だった。5月9日にAAA級サクラメントへ降格した。 カブス時代2014年7月5日にジェイソン・ハメル、ジェフ・サマージャとのトレードで、アディソン・ラッセル、ビリー・マッキニーと共にシカゴ・カブスへ移籍した[2]。 アストロズ時代2015年1月19日にルイス・バルブエナと共にデクスター・ファウラーとのトレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した[3]。同年は4試合(うち3試合で先発)に投げただけに留まり、防御率5.40で未勝利に終わるなど結果を残せなかった。 レッズ時代2016年3月28日にエリック・クラッツとのトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍した[4]が、4月1日にウェイバー公示を経てシンシナティ・レッズへ移籍した[5]。この年は2013年以来となる先発ローテーション復帰を果たし、34試合に登板して31試合で先発登板し、自身初となる規定投球回をクリアした。リーグワーストタイの31被本塁打、同ワースト5位タイの73与四球、同ワースト4位タイの11与死球と荒れる局面もあったが、チームトップ[6]の14勝(8敗)を挙げ、防御率3.76・WHIP1.19を記録してエース格として奮闘した。 マーリンズ時代2017年1月19日にオースティン・ブライス、ルイス・カスティーヨ、アイザイア・ホワイトとのトレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[7]。 オリオールズ時代2019年4月5日にボルチモア・オリオールズと契約した[9]。6月20日にDFAとなり[10]、23日にマイナー契約で傘下のAAA級ノーフォーク・タイズへ配属された[11]。 フィリーズ傘下時代2019年7月31日に金銭トレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[12]。 韓国ロッテ時代2019年12月に韓国・KBOリーグのロッテ・ジャイアンツと契約[13]。 2020年はロッテでチーム最多勝(15勝)、KBOリーグの最多奪三振(205)を記録した。 2021年は31試合に登板して10勝12敗、防御率4.07という成績で、ライアン・カーペンターと並びKBOリーグ最多敗戦を記録。再契約することはなかった。 ダイヤモンドバックス傘下時代2022年2月2日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、同年のスプリング・トレーニングに招待選手として参加することになった。開幕後はAAA級リノ・エーシズでプレーしたが、メジャー昇格の機会はなかった。 第二次韓国ロッテ時代2022年8月2日にロッテ・ジャイアンツと契約し復帰した[14]。11試合に登板して4勝2敗、防御率2.31を記録した。 2023年は開幕から調子が上がらず、16試合に先発登板して3勝5敗、防御率4.37という成績に終わり、シーズン途中の7月18日にウェーバー公示され[15]、7月25日に自由契約選手となった。 カブス傘下時代2024年4月23日にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約した[16]。しかしここでは1試合も登板することなく、わずか2日後の4月25日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[11][17]。 投球スタイル平均球速144km/hのフォーシーム、ツーシームと、変化球は平均134km/hのスライダー、平均132km/hのチェンジアップ、平均119km/hのカーブを持ち球とする。マイナーリーグ時代は制球力を武器としていたが、メジャー昇格後はむしろ制球の悪い方である。カーブ、チェンジアップの2球種に関してはボール球にすることが多く、空振りを多く取れる分、見逃されて四球となる場合も多い。基本的には、フォーシームでカウントを整えて右打者にスライダー、左打者にチェンジアップを投げて三振を奪う投球スタイル。ツーシーム、カーブはあまり多投しない。かつてはスライダーが最大の武器だったが、2015年以降はスライダーよりチェンジアップのが空振りを多く取れている[18]。 球の軽さが欠点で、被本塁打が非常に多い。2012年には7試合で11被弾、2016年にはリーグ最多タイの31被本塁打を喫するなど、被本塁打率が1.00以下だったシーズンが1回しかない[19]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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