バジャー (バンド)
バジャー(Badger)は、1972年に結成されたイングランドのロック・バンド。元イエスのトニー・ケイと、元ザ・ウォリアーズのデイヴィッド・フォスターによって結成された。 略歴結成イエスの初代キーボーディストだったケイは、1971年7月31日のクリスタル・パレス・ボウルでの公演を最後に、音楽性の相違を理由にイエスを脱退。同年、彼より前にイエスを脱退したギタリストのピーター・バンクスが結成したフラッシュにゲスト参加してデビュー・アルバムの制作に携わった後、新しいバンドの結成に乗り出した。 フォスターは、イエスのボーカリストのジョン・アンダーソンがイエスを結成する前に在籍していたザ・ウォリアーズ[注釈 1]でベース・ギターを担当していた。彼はイエスのセカンド・アルバム『時間と言葉』(1970年)にアンダーソンと共作で二曲を提供した。 ケイはフォスターとソロ・プロジェクトに取り組んでいたが、このプロジェクトは発展しなかった。彼等は新しいバンドのメンバーを探し始め、元アシュトン・ガードナー・アンド・ダイクのドラマーのロイ・ダイクを勧誘した。そしてダイクが、パリッシュ・アンド・ガーヴィッツ(Parrish&Gurvitz)[1][注釈 2]のブライアン・パリッシュをギタリスト兼ボーカリストとして迎えることを提案した。彼等はバンドの名前をバジャー[注釈 3]にして、1972年9月にリハーサルを始め、アトランティック・レコードと契約した。 プログレッシブ・ロック・バンド期彼等は1973年にライブ・デビュー・アルバム『ワン・ライヴ・バジャー』を発表した。このアルバムは1972年12月15日と16日にロンドンのレインボー・シアターでイエスのコンサートの第一部を務めた時の音源を収録しており、アンダーソンとジェフリー・ハズラムによってプロデュースされた。収録曲はパリッシュによる一曲[注釈 4]を除いてメンバー全員の共作で、いずれもプログレッシブ・ロックの範疇に含まれる楽曲である。カバー・アートは、イエスのアルバム・カバーを数多く制作したロジャー・ディーンによって制作された[注釈 5]。
『ワン・ライヴ・バジャー』は、1993年に同じ曲目、同じ曲順でCD再発された。 リズム・アンド・ブルース・バンド期1974年までに、フォスターとパリッシュが脱退した。ケイとダイクはアシュトン・ガードナー・アンド・ダイクでダイクと演奏していたベーシストのキム・ガードナーを迎え入れた。続いて元スティーラーズ・ホイールのポール・ピルニック(ギター)とシンガーのジャッキー・ロマックス[注釈 6]が加入した。 ロマックスはバジャーを自分のソロ・アルバムで演奏していたR&B / ソウル・バンドに変え始めた。彼の楽曲と歌声がバジャーを支配した。1974年、彼等はアラン・トゥーサンがプロデュースしたセカンド・アルバム『ホワイト・レディ』をエピック・レコードからリリースした。収録曲の全てはロマックスの単独作か彼と誰かの共作だった。ジェフ・ベックがゲストとして「けがれなき女」でギター・ソロを披露した。
「White Lady b/w Don't Pull the Trigger」が、シングルとして、1974年5月にリリースされた。 解散と元メンバーの動向『ホワイト・レディ』が発表される前に、バジャーは二つの派閥に分かれてしまい解散した。 ケイは1977年、元シルヴァーヘッドのマイケル・デ・バレスが結成したディテクティヴ に加入して、2作のアルバムの制作に参加。続いてバッドフィンガーに加入して、1981年に1作のアルバムを発表。1983年にイエスの再結成に参加して1994年まで在籍した。 フォスターはジム・ホーンズビー、ポール・ローズ、マーク・ステフェンソン(ギター)、フランク・ギボンズ(ベース・ギター、キーボード)、ポール・スミス(ドラムス)というメンバーで、2004年にアルバム『Open Road』(ヴォイスプリント・レコード:VP291CD)を発表した。このアルバムには、イエスのセカンド・アルバム『時間と言葉』のためにアンダーソンと共作した「時間と言葉」を彼が解釈し直したカバーが収録されている。 ロマックスはガードナーと「White Lady」[2]というライブ・バンドを短期間率いた後、ソロ活動に戻り、2013年9月、病没。 ガードナーは2001年に病没。 メンバー
ディスコグラフィアルバム
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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