ハチ食品
ハチ食品株式会社(ハチしょくひん、英称:Hachi Foods Co.,Ltd.)は、大阪府大阪市西淀川区に本社を置く、レトルトカレー、スパイス、パスタソースなどの製造を主とする食品メーカー[1]。創業は1845年 弘化2年の江戸時代末期であり[2]、1905年(明治38年)に初めて国産カレー粉を製造販売した日本最古のカレーメーカーである[3][4]。 コーポレートスローガンは「Aim to be excellent Curry Company~カレーと共に これまでも これからも~」[1]。 概要カレーをメインに、各種スパイス、パスタソースなどの製造販売を行う[1]。大手企業のOEM商品やプライベートブランド商品の受注生産も手掛ける[1][5]。また京阪神地区を中心に学校給食用のカレーを納入している[5]。レストランなどで用いられる業務用製品と小売店、スーパー、100円ショップなどの家庭用製品も数多く製造している。特にレトルトカレー、レトルトパスタソースの製造、販売が多い。 レトルト食品はすべて日本国内の工場で製造している[6]。カレー粉は輸入原材料を国内で加工している[6]。スパイスなど一部の外国産製品は原産国を明記した上で国内で包装している。原材料の生産国は様々である[6]。 業務用製品は基本的に一般小売店では市販されていないが[7]、一部の商品は自社オンラインショップで販売している[6]。 家庭用製品は比較的買いやすい価格帯の商品が多く[8][9]、業務スーパーなどの業務用食品取扱店をはじめ[8][9]、ディスカウントストア、100円ショップ、ドラッグストア、一部の輸入食品店[10] などを主な販路とするが、近年は一般スーパーマーケットにも販路を拡げている[6]。また自社オンラインショップをはじめ、Amazon、楽天市場、ヨドバシ.comなどの各種通販サイトでも取り扱いがある。 沿革江戸時代末期の1845年(弘化2年)に、初代今村弥兵衛が大阪・瓦町(現在の大阪市中央区瓦町)で薬種問屋「大和屋」として創業した[2]。同じ大阪市中央区の道修町は江戸時代から薬問屋が多く、現在も多くの製薬会社が本社や拠点を置く「薬の街」として知られる[5]。 二代目今村弥兵衛時代には屋号を「今村弥」と改め[5]、ウコン粉が大阪で開催された第五回内国勧業博覧会で有功褒賞を受賞した[2]。 1900年代初頭に、二代目今村弥兵衛が漢方薬の貯蔵庫に入ったところ、ウコンや唐辛子などが入った箱の中からカレーのような匂いがすることに気づき、これらの材料を使って薬の調合技術を応用し、オリジナルレシピでカレー粉を調合したのが始まりである[3][11]。このエピソードは、2014年3月16日に読売テレビ『OSAKA仰天ヒストリー 諸説あり!!』でも放送された。 日本にカレーが伝来したのは明治初期、当時インドを植民地としていたイギリス経由とされる[5]。なお「カレー」の語を日本に初めて紹介したのは福沢諭吉で、1860年(安政7年/万延元年)に出版した辞書『増訂華英通語』に「カレー」の語を掲載した[11]。その後、文明開化とともにカレーライスは洋食として普及し、海軍カレーや学校給食の献立にも取り入れられ、日本人の国民食となるに至った[5]。 「Hachiカレー」は、1905年(明治38年)から販売されている最古のブランドである。発売当初の商品名は「蜂カレー」であった[3][11]。商品名の由来は、弥兵衛が倉の中でカレー粉を調合していた際に、窓に止まった1匹の蜂に朝日が注ぎ、金色とも飴色ともつかぬ美しい輝きを放っており、この光景に感銘を受けて「蜂カレー」と名付けたという[3][11]。発売当時の商品にはパッケージにも蜂の絵が描かれており、カレーライス自体が珍しかった時代には「蜂が入っているのか?」という問い合わせもあったという[11]。「蜂カレー」は、昭和初期には関西や九州など西日本を中心に販売されていたが、昭和後期に製造を休止している[11]。 戦後は大手食品メーカーが続々とカレー製造に参入、競争が激化したため経営が悪化し、1956年(昭和31年)には会社更生法を申請するに至った[5]。経営再建を図る中、翌1957年(昭和32年)には商品名に合わせ「蜂カレー株式会社」へ社名変更[3]。1962年(昭和37年)には会社更生計画が完了し今村家の同族経営を脱した[5]。さらに1969年(昭和44年)には「ハチ食品」へ再度社名変更した[3]。 経営再建後は、業務用食品や大手食品メーカーのOEM生産を主としていたが[5]、1990年(平成2年)よりレトルトカレーを製造開始した[2]。レトルトカレーは「ボンカレー」をはじめ大手メーカーが1960年代から製造販売していたため、後発での参入には社内でも反対があったという[5]。そのため大手との競合を避け、業務用に近い低価格帯の商品とした[5]。また販路もスーパーマーケットではなくディスカウントストアや、1990年代頃から食品の取り扱いを始めた100円ショップやドラッグストアなどとした[5]。 その後はこうした業態の店舗が増え[5]、1990年代後半から2000年代以降のデフレにより低価格商品が伸びたことも追い風となり、2000年(平成12年)にはレトルト専門工場として、長野県駒ヶ根市に駒ヶ根工場を新設するまでに成長した[2][5]。 単身世帯の増加による「個食化」の影響もあり、レトルトカレーの市場規模は拡大して2010年代後半にはカレールーを上回った[5]。ハチ食品でもこうした市場動向を受け、従来の低価格商品だけではなく高価格帯のラインナップにも注力しはじめた[5]。2016年には伝統の「蜂カレー」を復刻し[5]、同社のフラッグシップ商品としてリニューアル発売した[11]。 年表
事業所
関連会社主な商品カレー・シチュー
パスタソース
キャラクター会社のマスコットキャラクターは蜂の「ハチ坊」[15]。二代目今村弥兵衛がカレー粉を調合していた際に、たまたま飛んできた蜂という設定[15]。蜂の「男の子」と紹介されているが[15]、この設定では100歳をゆうに超えていることになる。 「ハチ坊」の設定は以下のとおり[15]。
脚注
関連項目外部リンク
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