ニルギリ級フリゲート
ニルギリ級フリゲート(ニルギリきゅうフリゲート、英語: Nilgiri-class frigate)は、インド海軍のフリゲートの艦級。イギリス海軍のリアンダー級フリゲートの準同型艦であり、またインド国内で建造された初の大型水上戦闘艦でもある[1][2][3][4]。 来歴イギリス領インド帝国時代の王立インド海軍 (Royal Indian Navy) は、第二次世界大戦での連合国の勝利に大きく貢献した。第二次世界大戦末期より、来るべき戦後に備えて、王立インド海軍の大規模な増強計画が進められており、1943年中盤には巡洋艦・駆逐艦の導入が提案された。1950年には「王立インド海軍」から「インド海軍」へと改称して独立性を高めるとともに艦隊の拡充も図られていき、大戦中に提案された巡洋艦・駆逐艦は1948年から1949年にかけて順次に就役したほか[5]、1954年にはイギリス海軍の防空護衛艦である41型フリゲートおよび廉価型対潜護衛艦である14型フリゲートの準同型艦3隻ずつが発注された。そして1956年には、14型と対になる高性能型対潜護衛艦である12型フリゲート(ホイットビィ級)の準同型艦としてタルワー級2隻が発注された。これらは1958年から1960年にかけて順次に就役した[2]。 一方、イギリス本国では、船団護衛艦としての12型をもとに艦隊護衛艦として発展させたリアンダー級が開発され、1955/6年度より建造に着手していた[6]。これとあわせて、インド海軍でも同級に準じた艦が建造されることになった。これが本級である。タルワー級の建造はイギリスの造船所で行われたのに対し、本級では、ムンバイのマザゴンドック造船所 (Mazagon Dock Shipbuilders Limited) で国産化することになり、1966年より建造が開始された[2]。 設計上記の経緯より、イギリス海軍のリアンダー級幅広型の設計がおおむね踏襲されているが、インドでの運用に合わせて改設計が施された[2]。構成品の60パーセントは国産化されている[3]。 大きな変更点が格納庫で、オリジナルで搭載されていたウェストランド ワスプよりも機体が長いチャタク・ヘリコプター[注 1]を搭載する必要から、後方に入れ子式の部分を追加した。また最後期型2隻は、更に大型のシーキングMk.42を収容できるように格納庫を拡張し、ヘリコプター甲板にベアトラップ着艦拘束・機体移送装置を設置するなどの大規模な設計変更が行われており、排水量も増大した。また係留作業の便を考慮して、艦尾に切り欠きが設けられている[4]。 主機もリアンダー級、ひいてはタルワー級と同系列で、バブコック・アンド・ウィルコックス(B&W)社製の水管ボイラー2缶(圧力38.7 kgf/cm2 (550 lbf/in2)、温度450 °C (842 °F))とくみあわせたギアード・タービン(出力30,000馬力)で5翼式のスクリュープロペラ2軸を駆動する方式とされた。電源の合計出力もリアンダー級幅広型と同じく2,500キロワットであった[1]。 なお本級は概して乗員が極めて多く、人口密度の高い艦であった[1]。 装備ネームシップでは、リアンダー級幅広型に準じたイギリス製の装備が搭載されたが、2番艦以降では、レーダーは下表のようにオランダ製に変更された[2]。また個艦防空ミサイルも、ネームシップでは、シーキャットGWS-22の4連装発射機1基をMRS-3射撃指揮装置(903型レーダー装備)と組み合わせて搭載していたのに対し、2番艦以降では、ミサイル発射機2基をオランダ製のM4射撃指揮装置(M45レーダー装備)と組み合わせて搭載した[1]。その後、シーキャットの陳腐化に伴い、全艦でAK-230 30mm高角機銃に換装されている[3][4]。 探信儀として184型ソナー、対潜迫撃砲の目標捕捉用として170型ソナーを搭載したほか、1・2番艦では可変深度式の199型ソナーも搭載したが、以後の艦では可変深度ソナーは省かれた。また2番艦「ヒムギリ」では、184型にかえて、試験的に国産のAPSOH(Advanced Panoramic Sonar)を搭載した[1]。そして最後期型2隻では、探信儀をSQS-505に変更するとともに、ディオドン可変深度ソナーを搭載した[3][4]。 兵装・電装要目
同型艦一覧
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |
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