ドリトル先生と秘密の湖
『ドリトル先生と秘密の湖』(ドリトルせんせいとひみつのみずうみ、Doctor Dolittle and the Secret Lake)はアメリカ合衆国で活動したイギリス出身の小説家、ヒュー・ロフティング(1886年 - 1947年)による児童文学作品。 ロフティングが亡くなった翌年の1948年に刊行された遺作であるが、本作の出版後に夫人とその妹が遺稿をまとめた1950年刊の『緑のカナリア』と1953年刊の『楽しい家』が存在するため、シリーズ最終作ではない。 概要ドリトル先生シリーズの第10作で、作品内の時系列上では本作が最終作となる。話の流れとしては第3作『郵便局』で終盤に登場した巨大なリクガメ・ドロンコ(Mudface)が再び登場し、旧約聖書に記された大洪水にまつわる長大な体験談の全容が明らかにされる。 前作『月から帰る』が1933年に刊行された後、シリーズは長期の中断に入り本作が刊行されたのは15年後の1948年であった。なお、前巻まではF・A・ストークス社がアメリカにおける出版元となっていたが、1939年にストークス社の代表が死去したことに伴う同社の廃業を受けて、J・B・リッピンコット(現在のリッピンコット・ウィリアムズ&ウィルキンス)が新たな発行元となり「F・A・ストークスブックス」レーベルのラインナップとしてシリーズ全巻の発行を継承した。イギリスでは前巻までと同様ジョナサン・ケープが発行元となっている。 本作の執筆背景本作が出版されたのは1945年に第二次世界大戦が終結した3年後、1947年にロフティングが没した1年後であるが、第3部でドロンコの口伝において語られる全世界を支配下に置こうとした独裁者・マシュツ王はアドルフ・ヒトラーが、そのマシュツ王が君臨するシャルバはナチス・ドイツがモデルになっているのではないかと指摘されている[1]。第4部15章ではドロンコよりマシュツ王が採った愚民政策について語られているが、これはヒトラーユーゲントに代表される青少年教化を暗示するものと解釈され[1]、また第4部16章においてベリンダが「アジアから来た外国人」とエバーとガザの子孫達、すなわちアメリカ大陸の民が戦争をしていると述べているのは(1840年代という作中の時代設定には全く合致しないものの)太平洋戦争を指しており、すなわち「アジアから来た外国人」とは日本人のことではないかと指摘されている[2]。こうした記述より、枢軸国陣営の全体主義が世界を席巻することに対する著者の危機意識が本作の執筆背景に有ったのではないかと解されるが、こうした作中の時代背景に執筆時の世相を反映させる手法に対しては批判も存在し、エドワード・ブリッシェンは1968年に刊行されたロフティングの評伝("Three Bodley Head Monographs "所収)において本作の後半部分を「失敗作」と断じている[3]。 なお、ロフティングは第一次世界大戦において西部戦線で従軍した経験より反戦運動を強く支持しており、1942年には"Victory for the Slain"(滅亡に至る勝利)と題した戦争の無益さを訴える詩を発表しているが、この詩は真珠湾攻撃を受けて日本と交戦状態に突入したアメリカでは公刊されず、ロフティングの母国・イギリスでのみ公刊された。 あらすじ→「ドリトル先生シリーズの登場キャラクター」も参照
月から帰還したドリトル先生は、地球の動植物に比べて極めて長い寿命を持つ月の植物に不老長寿を実現する鍵が秘められているのではないかと考えて研究を重ねていたが思ったような成果は挙げられず、遂に研究の断念を表明する。それに前後して、助手のトミー・スタビンズはロンドンのセント・ポール大聖堂に住むスズメのチープサイドからかつて先生が西アフリカのファンティポ王国で郵政大臣に任命されていた時にノアの大洪水を生き延びたと自称するリクガメ・ドロンコを訪ねて“秘密の湖”ジュンガニーカ湖に小島を作った時の思い出話を聞かされ、気分転換を兼ねて先生を航海に連れ出すことを画策する。 スタビンズは先生が次の研究に着手する前にかつて、先生がドロンコから聞き取ったノアの大洪水とその際に水没したシャルバの都に関する一昼夜に及ぶ物語の記録を分析してはどうかと提案し、先生も賛同する。その記録は、紙のノートでなくシュロの葉に書き留められていたはずであった。ところが、スタビンズは地下書庫で貴重な記録を書き留めた葉っぱの束が綺麗さっぱり無くなっていることに気付く。書庫の管理を任されていた白ネズミは渋々、新しく「ネズミ・クラブ」に入会したネズミの一家に巣作りの材料として葉っぱを提供したことを白状した。それからしばらくして、嵐の吹き荒れる夜にチープサイドとその妻・ベッキーが満身創痍の状態でドリトル家にたどり着いて保護される。夜を徹した看病が続けられた結果、2羽のスズメは意識を取り戻しアフリカの奥地へドロンコの様子を見に行ったことを打ち明ける。チープサイド曰く、ジュンガニーカ湖は地震に見舞われ先生がリウマチを患うドロンコの為に世界中の鳥を呼び寄せて小石や泥の塊を投下させて作った小島は半壊し、ドロンコは生き埋めになったのではないかと言うことであった。 こうして貴重な歴史の証言者を救出する為の航海が決定し、先生は以前にクモザル島への航海でも船を手配してもらった貝ほりのジョーから新しい船を借り、かつて国際郵便局を開設していたファンティポ王国へ向けて出港する。ファンティポの港では旧友のココ王が自ら先生の一行を出迎え、かつて郵便局として使われていた懐かしい屋形船で盛大な晩餐会が催された。翌日、先生はココ王に謁見して一隻の丸木舟を調達してもらい、小ファンティポ川を内陸へ遡ってジュンガニーカ湖を目指す旅へ出発する。小ファンティポ川はアフリカで3番目に大きなニジェール川と並走するように流れており、先生はドロンコを救出する為にニジェール川に住むワニ達の協力を求めることにする。ほどなくしてワニの大群がニジェール川から小ファンティポ川へ内陸を横断して次々に押し寄せるが、その大群を率いるのはかつて先生の妹・サラが家を飛び出す原因となったジムであった。ジュンガニーカ湖に到着した一行は早速、ワニ達の協力で半壊した小島の生き埋めになったドロンコを救出する。湖は地震の影響で水位が下がっており、かつて先生が訪れた際は湖底に沈んでいた古都・シャルバの栄華を物語る数々の建物が姿を現していた。そして、ドロンコは大洪水でシャルバが水没した時のことを再び語り始める──。
大洪水にまつわる物語を聞き終わった先生は、湖面から姿を現したシャルバの王宮へ案内される。宝物殿には、マシュツ王が征服した国々から強奪した金銀財宝が手つかずのまま残されていたが先生はそれを持ち帰ることを良しとせず、マシュツ王がゾナバイトを征服した後で記念にかぶるつもりであった青銅製の王冠だけを持ち帰ることにする。 先生の一行はジュンガニーカ湖から小ファンティポ川を下る帰り道、アメリカ大陸へエバーとガザの子孫達が心配になって様子を見に行っていたと言うドロンコの妻・ベリンダに出会う。一行はドロンコもベリンダとまた一緒に暮らせるなら平穏に余生を過ごせるだろうと安心して、帰り道を急ぐのであった。 大洪水の物語にまつわる人物・動物ドロンコが語るノアの大洪水にまつわる物語に登場する人物と動物。ドロンコ・ベリンダ夫妻についてはドリトル先生シリーズの登場キャラクター#ジュンガニーカ湖を参照。
日本語版長らく岩波書店版のみが刊行だったが、2014年夏に角川つばさ文庫で新訳版が刊行された。
なお、岩波版ではニジェール川(Niger river)を「ニガー川」と訳していたが、これは明らかな誤訳である[4]。2001年に黒人差別をなくす会がこの誤訳を理由として岩波書店に本書の回収を要求した際は、回収措置こそ取られなかったが編集部は当該個所が明らかな誤訳であることを受け入れ[5]、2002年以降の重版で「ニジェール川」に修正された。
出典・脚注
外部リンク |