トト・クトゥーニョ
トト・クトゥーニョ(Toto Cutugno、1943年7月7日 - 2023年8月22日[1])は、イタリアの歌手、作曲家。 1983年リリースされた世界的なヒット曲「L'Italiano」が有名、また、1990年のユーロビジョン・ソング・コンテスト1990で「Insieme:1992」(1992年を一緒に)でイタリア人歌手として26年ぶりに優勝したことでも知られている。 これまでに1億枚を超えるレコード売り上げ記録を有している。 経歴トスカーナ州フォズディノーヴォ生まれ。シチリアのバルチェッローナ・ポッツォ・ディ・ゴット生まれの父と主婦の母の子として生まれる。生後まもなく、家族はラ・スペツィア(リグーリア州)に引っ越した。 彼は音楽の経歴をドラマーから始めたが、後に、彼自身の歌を演奏したバンド「トトとタティ」を結成。その後、数多くのイタリア内外の歌手に楽曲を提供する(フランス系アメリカ人歌手Joe Dassinのために「L'étéindien」(「アフリカ」)、「Et si tu n'existais pas」、「Le Jardin du」など、彼の代表曲となる曲を多く提供した。特に「愛の挽歌 L'Ete Indien(Africa)」が大ヒットした。また、フランス人歌手ダリダの「Laissez moi danser」(「Voglio l'anima」)を共同執筆し、リリース直後にプラチナのレコードとなった)。 1976年に、サンレモ音楽祭に初めて参加し、「Volo 504」で彼のバンドAlbatrosで3位に入賞する。 1976年には「別れのローマ空港」、1977年には「グランプリ」がヒットした。 1977年にはソロ歌手に転身。 1980年代に入ると、「ソロ・ノイ」でサンレモ音楽祭で優勝する。 1983年、「L'italiano」(「The Italian」)は、歌詞と典型的なイタリア語を肯定するメロディーでイタリア人から人気を得る。この曲は、当初、Adriano Celentanoが歌う予定だったが、彼が拒否したためクトゥーニョのものとなった。この曲はサンレモ音楽祭では5位入賞にとどまったが、世界中で大ヒットした。 1984年に「Serenata」(「セレナーデ」)でサンレモで2位に入賞する。 サンレモ音楽祭には、その後も1987年に「Figli」(「息子」または「子供」)で、1988年に「Emozioni」(「感情」) で、1989年に「Le mamme」(「Mothers」)で、1990年にはレイ・チャールズと「Gli amori」(「Loves」、チャールズのバージョンでは「Good Love Gone Bad」というタイトル)で、2005年にも参加し、トト・クトゥーニョはフェスティバルに合計13回参加した。 1990年にはユーゴスラビアで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストで彼自身の作曲した「Insieme: 1992」(ヨーロッパの政治統合とEUの設立を祝ったバラード)でイタリア勢として2度目の優勝を果たす。46歳302日で、クトゥーニョは1958年にアンドレ・クラボーが記録した記録を上回り、これまでで最長年のコンテスト優勝者となった(この記録はオールセン・ブラザーズが優勝する2000年まで続いた)。イタリアで唯一の1964年のユーロビジョン優勝者であるジリオラ・チンクェッティとともに、1991年のコンテストを発表をローマで上演した。 私生活Carla Cutugnoという女性と結婚している。別の女性との間にNicoloという息子がいる。 作品
脚注
外部リンク
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