デイヴ・バウティスタ
デイヴ・バウティスタ(Dave Bautista, 1969年1月18日 - )は、アメリカ合衆国の俳優で、元プロレスラー。バティスタ(Batista)のリングネームで知られる。バージニア州アーリントン出身(WWEではワシントンD.C.出身とコールされている)。 腕には「天使」「武」と漢字でタトゥーを入れている。ニックネームはAnimal(アニマル、野獣の意)。 経歴キャリア初期父はフィリピン人、母はギリシャ人のハーフ。幼い頃に両親が離婚したため、双方の家を行き来しながら育った。ボディビルダーを志すが断念。酒場の用心棒として働き、アファ・アノアイが主宰する団体であるWXW(World Xtreme Wrestling)にて二十代後半ながらプロレスのトレーニングを始めた。1999年、カーンのリングネームでプロレスラーとしてのキャリアを開始。 2000年、WWFに入団し、傘下団体であるOVWにてリバイアサンなる怪奇派ギミックで活動し、ディサイプルズ・オブ・シンの一員として活躍。2001年11月29日にはザ・マシーンからOVWヘビー級王座を奪取し、2002年にはプロトタイプとOVWヘビー級王座を巡って抗争を展開した。 2002年5月、WWEに昇格。リングネームをバティスタへと変更し、宣教師ギミックをしていたディーボン・ダッドリーの助祭司兼用心棒として、SmackDown!に初登場した。同年11月にはRAWへと移籍。 2003年、トリプルH率いるエボリューションの一員になるも、負傷により約半年の欠場を余儀なくされたが、復帰後はリック・フレアーとタッグを組み、WWE世界タッグ王座を二度獲得。2003年末から2004年春にかけてのエボリューションによるRAW内タイトル独占に貢献した。 2005年OVW時代より一貫してヒールだったが徐々に観客の声援を集めるようになり、2005年に入るとロイヤルランブルで優勝。ベビー・ターンを果たし、WrestleMania 21にて当時王者であったトリプルHを破って、世界ヘビー級王座を獲得した。その後、バックラッシュ、ヴェンジェンスと、三回連続でトリプルHに勝利。ヴェンジェンスではWWEの試合形式では最も過酷なものの一つとされるヘル・イン・ア・セルを経験。 同年に行われたドラフトにより世界ヘビー級王座を持ったままSmackDown!に移籍し、早速JBLと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げ、グレート・アメリカン・バッシュ、サマースラムと続けてJBLを下し、王座を守り抜いて見せた。その後はエディ・ゲレロとの「友情ストーリー」が始まり、10月、ノー・マーシーにてエディと防衛戦を行い、勝利する。11月1日に行われた、RAWのPPVタブー・チューズデイでは、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの代役として急遽出場。その後もエディとの微妙な関係が続いたが、同年11月13日のエディの死去をもってこのストーリーは終結している。 サバイバー・シリーズにて行われるRAW対SmackDown!の全面対抗戦において、SmackDown!側の主将を務めるが、11月の同番組収録時に登場したRAW所属のケイン、ビッグ・ショーのダブルチョークスラムを受けた際に背中の筋断裂の重傷を負った。重傷を負いながらもWWEの興行には参加し続け、エディの親友であったレイ・ミステリオとのタッグでWWEタッグ王座も獲得し二冠王となった。しかし2006年1月に行われたハウス・ショーにおいて、新たなライバルとなっていたマーク・ヘンリーとの試合中に上腕三頭筋を断裂。長期休業に入らざるを得なくなったため、世界ヘビー級王座を返上した。 2006 - 2007年7月7日、SmackDown!にて復帰。The Great American Bash 2006でヘンリーと対戦する予定であったが、サタデーナイト・メインイベントでヘンリーが怪我をして離脱したため、対戦相手がケン・ケネディに変更された。この試合でも反則負けを喫し、その後もなかなか王座を奪回出来ずにいたため大スランプとまで評されたが、11月26日のサバイバー・シリーズでキング・ブッカーを破り、2度目の世界ヘビー級王座を獲得した。翌2007年、WrestleMania 23でジ・アンダーテイカーの挑戦を受けるも、敗北。その後4月29日のバックラッシュでアンダーテイカーとラストマン・スタンディング・マッチをするも両者カウントアウトで王座奪還ならず。SmackDown!にて行われた金網戦では同着で脱出。引き分けによるアンダーテイカーの防衛という結果に終わる。 その後、アンダーテイカーから王座を奪取したエッジとの抗争が始まる。しかし、ヴェンジェンスでのラスト・チャンス・マッチ形式の王座戦で敗れた。7月20日、SmackDown!で怪我のために、エッジがベルトを剥奪され、総勢20人のスーパースターが参戦した世界王座が賭けられたバトルロイヤルに参戦。最後の3人まで残ったが、ケインと共にグレート・カリに落とされた。世界王者返り咲きを目指し、カリと抗争し9月16日のアンフォーギブンにてベルトを奪還する。今度は復帰したアンダーテイカーにベルトを狙われるようになる。そして11月18日のサバイバー・シリーズのヘル・イン・ア・セル戦でアンダーテイカーと世界王座戦に臨むが、エッジの乱入により王座防衛となる。しかし、そのことに納得がいかず11月28日のSmackDown!でエッジとの世界ヘビー級王座戦を行うが今度はアンダーテイカーの乱入にあう。その後もアンダーテイカー、エッジと抗争しアルマゲドンでのトリプルスレットマッチを行うが敗北しエッジが王者となった。 2008年2008年の初頭はエッジと抗争するが、SmackDown!で行われたビート・ザ・クロック・マッチで敗退し王座戦線を親友レイ・ミステリオに譲る。1月のロイヤルランブルに8番手で出場。最後の3人までに残ったがエボリューションでの相棒であったトリプルHに落とされた。2月のノー・ウェイ・アウトでのエリミネーション・チェンバー・マッチで王座挑戦のチャンスが回ってきたがまたしてもアンダーテイカーに敗北する。その後はMVPと抗争、US王座に挑戦するがここではウマガの乱入に遭う。しかしWrestleMania XXIVでの番組対抗戦ではウマガに勝利する。レッスルマニア以降は、師匠であるリック・フレアーを引退させたショーン・マイケルズと抗争する。その間にエッジと抗争していたアンダーテイカーと世界ヘビー級王座戦を行った。(これはアンダーテイカーを消耗させるヴィッキー・ゲレロの戦略である)試合はショーン・マイケルズの乱入により世界王座は奪取できなかった。バックラッシュでのショーン・マイケルズとの対戦では、予想通りの激戦となったが、ショーン・マイケルズがバスティタ・ボムを回避したときの着地で左足を痛めた振り(アングル。後にこのことを指摘したクリス・ジェリコとマイケルズは抗争することになる)をしてバティスタがためらった時に必殺技のスウィート・チン・ミュージックをくらって敗北を喫した。 6月28日にドラフトでRAWに移籍する。 10月26日サイバー・サンデーでクリス・ジェリコを破り4度目となる世界王座を獲得したが、8日後のRAWでクリス・ジェリコに敗れ王座を奪還された。 2009年前年終わり頃からランディ・オートンと抗争、ロイヤルランブル前にジョン・シナと組んだタッグ戦でオートンにパントを喰らい翌週から欠場する。これを機会にサマースラムで負傷したという脹脛の手術も行い、戦線離脱した(実際にはヨーロッパツアーでの脹脛の断裂が原因の欠場であると思われる)。 WrestleMania XXV翌日のRAW放送でミスター・マクマホン対ランディ・オートン戦に介入し復帰、オートンにスピアーを、コーディ・ローデスにバティスタ・ボムを見舞った。なお、復帰直前に来日し、J SPORTS ESPNの特別番組で蝶野正洋と対談を行っている。 4月26日に開催されたバックラッシュで2009年初のPPV出場を果たし、シェイン・マクマホン、トリプルHとチームを組み、レガシーを相手にトリプルHのWWE王座を懸けて戦うも、トリプルHがオートンにRKO、パントを喰らい王座移動、トリプルHの欠場という結果に終わった。 5月17日に開催されたジャッジメント・デイではオートンが持つWWE王座を懸けて戦うも、オートンのレフェリーへの平手打ちにより反則勝ち。しかし、王座戦規定により王座の移動は無かった。6月7日に開催されたエクストリーム・ルールズでオートンからWWE王座を奪取したが、その試合で二頭筋を断裂し、翌日のRAW冒頭でオートンに腕を折られて病院に運ばれる形で再び欠場に入った。 休場中の6月29日にRAWのゲストホストを務め、オートンへの報復として当時移籍してきたばかりのエヴァン・ボーン、ジャック・スワガー、マーク・ヘンリー相手のガントレットマッチを決定した。 ブレーキング・ポイントから一夜明けた9月14日のRAWに手術をした左腕に装具をつけた姿で登場し、引退をほのめかす発言をし、前日王座をジョン・シナに奪われたオートンと対峙。しかし左腕の装具やキャリアへの言及はオートンを油断させおびき出すためのものであり、回復していたバティスタはオートンにクローズラインを決めた後、引退ではなくRAWを去ることとSmackDown!への移籍を発表。またこの会の特別ホストトリッシュ・ストラタスに直訴しRAWでの最後の試合をオートンと行い、バティスタ・ボムでついにオートンを沈めた。 10月に行われたブラッギング・ライツでのテイカー、ミステリオ、CMパンクとの世界ヘビー級王座戦でテイカーにバティスタボムを放ち、カバーに入ったところ親友のミステリオがカバーを邪魔したために試合中にミステリオとの口論になった。結局、試合はテイカーが勝ち王座を防衛した。試合後、ミステリオがバティスタの元に来て、慰めるがバティスタはミステリオを襲撃し、ヒールターンした。これによりテイカーの持つ世界ヘビー級王座への挑戦権も絡めつつミステリオと抗争を繰り広げる。 2010年エリミネーション・チェンバーでビンス・マクマホンの命により、WWE王座戦を終えたばかりのジョン・シナと急遽王座戦を組まれ、WWE王座を獲得した。そしてWrestleMania XXVIでシナと防衛戦を行い敗れ、王座を明け渡した。その後、WWEスタジオが制作する「キリング・カーマ」という映画の撮影のために、しばらくはレスリングから離れる予定だったが、その自身の役が、トリプルHに変わったことにより、WWEに対して怒りを露わにするようになり、このころから、WWEを離脱する方針であると雑誌で取り上げられるようになる。そして、5月24日のRAW収録を持って、自らの口からWWEを退団することを発表した。 2014年1月26日、PPVであるRoyal Rumble 2014のロイヤルランブルマッチにて28番目に登場。エリック・ローワン、アルベルト・デル・リオ、ライバック、そして最後にはロマン・レインズと一騎討ちを行い脱落させ、優勝を飾った。 ロイヤルランブルの優勝を受け「レッスルマニア30でWWE世界ヘビー級王座に挑む。相手はオートンでもシナでも構わない」と宣言し王座取りに向けてアピール。その後のPPVで王座を防衛したオートンとのWM30でのタイトル戦が決定的であったが、ダニエル・ブライアンとトリプルHの抗争のあおりを受け最終的にWM30のカードがオートン対バティスタ対ブライアンのトリプルスレッド戦となり、4月6日のWM30にて、WWE世界ヘビー級王座トリプルスレッド戦に挑んだがブライアンのYesロックに捕まりタップアウト負け。翌日のRAWからは対ブライアンという点で利害が一致したトリプルHの組織オーソリティー側の人間となり、組織に楯突くシールドを叩き潰すためトリプルH、オートンとともにエボリューションを再結成させた。しかしシールドとの抗争に手を貸す部分はWWE王座挑戦への交換条件ためやむなく応じた物で、6月のPPVペイバックの翌日のRAWにて、「シールドと関わりたくない。最初の約束通りWWE王座に挑戦させろ」と言い放つもトリプルHに即時却下される。怒ったバティスタはリングを降り、会場からも立ち去ってしまった(実際は、映画の宣伝のために離脱するため)。それ以降はWWEには登場せず、レスリング界からは事実上引退状態となっていた。 2018年米国時間10月16日に放送されたSmackDown Liveの1000回放送記念にエボリューションの一員として久しぶりにWWEに登場。エボリューションのメンバーを讃えるマイクパフォーマンスをするが、トリプルHに対して「彼はすべてを成し遂げた。俺を倒せなかったが」と発言し、トリプルHとにらみ合う場面があった[1]。 2019年米国時間2月25日に放送されたRAWにて、リック・フレアーの70歳を祝うセグメントの途中、バックステージに登場し、控室にいたリック・フレアーを襲撃。その後カメラに向かってトリプルHを挑発[2]。このセグメントを起点としてトリプルHと抗争(両者ともマイクパフォーマンスまたはビデオメッセージのみによる抗争で、身体接触はない)を展開し、米国時間3月11日のRAWにてレッスルマニア35で反則裁定なしのノー・ホールズ・バード戦でトリプルHとシングルマッチを行う事が決定[3]。約5年ぶりにリング復帰したものの、試合終盤でリック・フレアーが介入しトリプルHに加勢、最終的にトリプルHにペディグリーを決められ、敗戦[4]。試合後、自身のツイッターアカウントで引退を表明した[5][6]。 主な出演作品
戦績
得意技フィニッシュ・ホールド
打撃技投げ技関節技タイトル歴
入場曲その他
脚注
外部リンク
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