タイ・ケリー
タイラー・パトリック・ケリー(英: Tyler Patrick Kelly, 1988年7月20日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(ユーティリティプレイヤー)。右投両打。愛称はTK[1]。 経歴プロ入りとオリオールズ傘下時代2009年、MLBドラフト13巡目(全体386位)でボルチモア・オリオールズから指名され[2]、6月16日に契約。契約後、A-級アバディーン・アイアンバーズでプロデビュー。61試合に出場して打率.265・1本塁打・18打点・3盗塁の成績を残した[2]。 2010年はA級デルマーバ・ショアバーズでプレーし、129試合に出場して打率.259・4本塁打・58打点・5盗塁の成績を残した[2]。 2011年はA級デルマーバでプレーし、120試合に出場して打率.274・4本塁打・46打点・11盗塁の成績を残した[2]。 2012年はA+級フレデリック・キーズで開幕を迎え、28試合に出場後、5月13日にAAA級ノーフォーク・タイズへ昇格[2]。11試合に出場して打率.278・1本塁打・2打点の成績だったが、5月27日にA+級フレデリックへ降格[2]。降格後は48試合で打率.386と結果を残し、7月16日にAA級ボウイ・ベイソックスへ昇格[2]。AA級ボウイでは46試合に出場して打率.308・1本塁打・27打点・1盗塁の成績を残した[2]。オフにオリオールズ傘下所属選手によるオールスターチームにユーティリティープレイヤーとして選出された[3]。 2013年は開幕からAA級ボウイでプレーし、72試合に出場して打率.283・1本塁打・47打点・4盗塁の成績を残した[2]。 マリナーズ傘下時代2013年6月30日にエリック・テイムズとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[4]。移籍後はAAA級タコマ・レイニアーズで54試合に出場して打率.320、3本塁打・17打点・3盗塁の成績を残した[2]。オフにマリナーズ傘下所属選手によるオールスターチームに二塁手として選出された[5]。 2014年はAAA級タコマでプレーし、134試合に出場して打率.263・15本塁打・80打点・11盗塁の成績を残した[2]。この年もマリナーズ傘下所属選手によるオールスターチームに、2年連続で二塁手として選出された[6]。 カージナルス傘下時代2014年11月20日にサム・ガビグリオとのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した[7]。同日にカージナルスとメジャー契約を結び、40人枠入りした[2]。 2015年4月3日に傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズへ異動し、そのまま開幕を迎えた。その後はメジャーへ昇格することができず、7月21日にDFAとなった[8]。AAA級メンフィスでは79試合に出場して打率.203・2本塁打・21打点・3盗塁の成績を残した[2]。 ブルージェイズ傘下時代2015年7月22日にウェイバー公示を経てトロント・ブルージェイズへ移籍した[9]。移籍後は傘下のAAA級バッファロー・バイソンズでプレーしていたが、8月29日にDFAとなり[10]、31日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。AAA級バッファローでは38試合に出場して打率.264・1本塁打・12打点の成績を残した[2]。オフの11月7日にFAとなった。 メッツ時代2015年11月13日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[11]。 2016年はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、35試合の出場で打率.391・2本塁打・15打点・2盗塁と活躍し、5月23日にルーカス・ドゥーダが故障者リスト入りしたため、メッツとメジャー契約を結んだ[12]。5月24日のワシントン・ナショナルズ戦で8番・三塁手として先発起用されメジャーデビュー。この日は4打数無安打3三振に終わった[13]。5月30日のシカゴ・ホワイトソックス戦でホセ・キンタナからメジャー初安打となる中堅への安打を記録[14]。6月8日のピッツバーグ・パイレーツ戦では、ジェイムソン・タイヨンから右翼スタンドへのメジャー初本塁打を放った[15]が、6月10日にAAA級ラスベガスへ降格した[16]。6月16日にフアン・ラガーレスが故障者リスト入りしたため、再びメジャーへ昇格[17]。主に代打として4試合に出場したが、4打数無安打と結果を残せず、6月22日に再びAAA級ラスベガスへ降格した[18]。最終的には39試合に出場し、打率.241・1本塁打・7打点を記録したほか、9三振に対して11四球を選ぶ選球眼の良さも発揮し、出塁率.352と高かった。守備面では内外野の複数ポジションを守り分けたが、主に左翼手と三塁手を守った。左翼手では、8試合で無失策・DRS +3・UZR +1.9、三塁手では10試合で無失策・DRS +1・UZR +1.0と、いずれもポジションでも安定した守備力を発揮した。 また、8月26日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のイスラエル代表に選出された[19]。この予選4組において決勝戦でイギリスに勝利し、本大会初出場を決めた[20]。 2017年1月18日に第4回WBC本戦のイスラエル代表に選出された[21]。2月9日にジェリー・ブレビンスの再契約に伴ってDFAとなった[22]。2月13日にマイナー契約でAAA級ラスベガスに降格した[2]。3月に選出されていたWBCに参加。4月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りしたが、4月8日にDFAとなった[2]。 ブルージェイズ復帰2017年4月10日にウェイバー公示を経てブルージェイズへ移籍した。AAA級バッファローで2試合出場後、4月18日にメジャー昇格したものの出番は無く、21日にDFAとなった[2]。 フィリーズ時代2017年4月22日に金銭トレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[23]。4月25日にアクティブ・ロースター入りしたが当日の試合(マイアミ・マーリンズ戦)は雨で延期となった[24]。この年の2球団合計では70試合に出場して打率.191・2本塁打・14打点の成績を残した。レギュラーシーズン終了後の10月4日に40人枠から外れる形で傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属され、翌5日にFAとなった[2]。 メッツ復帰2018年1月26日にメッツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。シーズンでは開幕からAAA級ラスベガスでプレーし、6月11日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[25]。7月24日にDFAとなり[26]、26日にAAA級ラスベガスへ配属された[2]。10月2日にFAとなった[2]。 エンゼルス傘下時代2019年2月5日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。開幕後はAAA級ソルトレイク・ビーズでプレーし、80試合出場、打率.246、1本、22打点の成績を残していたが、8月26日に現役引退することを発表した[2]。 現役復帰2021年1月29日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーション(AA)のカンザスシティ・モナークスと契約した[27]が、AAシーズン開幕前の4月8日にアトランティックリーグ(AL)のロングアイランド・ダックスへ後日発表選手との交換で移籍した[28]。ALシーズン開幕前の5月22日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、AAA級タコマ・レイニアーズに配属された[2][29]。タコマでは24試合に出場し、打率.227、2本塁打、10本塁打という成績だった。7月8日に自由契約となった[2]。退団後はロングアイランド・ダックスに復帰した。 2022年3月8日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[2]。この年もメジャー昇格はできず、8月23日に自由契約となった[2]。 2023年3月に開催された第5回WBCにイスラエル代表として出場した[30]。この大会を最後に現役を引退した[31]。 現役引退後2023年シーズンより、シアトル・マリナーズ傘下AAA級タコマ・レイニアーズのコーチに就任した[31]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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